藩政時代の栄光
愛媛県大洲市、今や「城泊」から「古民家ホテル」群の整備による集客増で多くの観光客が訪れている。コロナ禍によってツアー業界が萎縮してしまったことが嘘のような状況が続いている。
町のイメージは、今の時代だからSNSなどを介した写真や動画、また、さまざななニュースソースに載って紹介されることをきっかけとしてクローズアップされ、それを皆様方が共有し始めることで大きな流れが起きる。
藩政時代は米子藩から大洲藩へ来た加藤家が維新まで十三代に渡って治めた。特に十三代藩主加藤泰秋は、尊皇攘夷を掲げて朝廷を尊び勤王活動などで大きな実績を残した兄の十二代藩主加藤泰祉が21歳という若さで没した後を受け、維新成就に向けて大きな貢献をしたことから「小藩の名君」と謳われた。
坂本龍馬が土佐街道を経由して大洲藩に入り肱川河口の江湖港(長浜町)から長州へ脱藩したことは有名な話だ。しかし、実はその背景には時の長州本藩萩藩支藩長府藩十三代藩主毛利元周の正室として嫁いだのは、大洲藩十一代藩主加藤泰幹の長女で千賀子姫だった。あの大きなうねりとなった維新への動きの背景では、実は婚姻によって大洲藩と長府藩との親戚関係が原動力となっていた。
受け継がれている大名行列
いろは丸事件などの絡みでゴタゴタした時期はあるが、西宮から長州勢を鳥羽伏見の戦いへと送り届けるための警備と準備は大洲藩が担い、このことが要因となって決着した。明治天皇が江戸へ向かう際の行列の先頭での警備を大洲藩十三代藩主加藤泰秋が担うなど、その貢献ぶりは高く評価されていた。
写真の大名行列は参勤交代などの際の行列も含めて当時のままの出で立ちにて、年に一度、11月2日に行われるもので大洲市内を練り歩く。私が子ども時代には既に行われており、よくここまで受け継がれてきたものだ。この町の市民にとっては年に一度の大切な伝統行事でもあり多くの方々が楽しみにしている。
行列は大洲藩が賄っていた八幡神社を出発し市内を巡って帰着するコースで行われる。今年の特徴は、地域住民に混じって西欧系と思しき観光客の皆様方がスマホ片手に見物されていたことだ。まさに、これは現在展開しているインバウンドに向けた取組の成果と言えるのではないか。行列そのものは市内の中学生や高校生たちが手伝ってくれて成立している。しかし、人口減少という厳しい条件ではあっても、必ずや百年先に送り届けていただきたい伝統行事でもある。
安らぎを感じる町
先の大戦においては運良く戦災を免れた。それ故、この町の歴史や生活文化伝統などがそのままの状態で残り、今に受け継がれている。「土佐街道+松山街道+宇和島街道」に肱川がクロスする重要なポイントであった城下町大洲。二戦級の観光地から、今、表舞台へと躍り出ようとしていることの要因の一つとしては、先に述べたこの町の歴史的栄光と肱川に起因する人々の優しさがあることは間違いない。
これを写真で表現し、伝わり感じていただけるよう思いを込めてシャッターを切る私の撮影スタイルは、来年も変わることはない。年明け1月2日からは地元大洲市内において第3回目の写真展を開催する予定だ。
拙い文章をお読みいただき感謝申し上げます。ありがとうございました。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14
寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員