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東京再発見 第16章 四季折々、災いから氏子を守る鎮守様~荒川区南千住・素盞雄神社~

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 大川と呼ばれていた隅田川、1594年に徳川の御代最初の橋として千住大橋が架橋される。当時、その橋は単純に「大橋」と言われていた。そして、日光街道の袂にこの地域の総鎮守・素盞雄神社(すさのおじんじゃ)は鎮座する。南千住や町屋、三河島、三ノ輪の61町の氏子を抱える下町、地域密着の神社だ。

神楽殿の雛飾り
神楽殿の雛飾り

 都内でも珍しい長柄四間半(8.1m)の二天棒の神輿で神輿振りをする天王祭が有名である。

 「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんなり)」

 ふりかかる悪疫災厄から御祭神スサノオノミコトにお護りいただく唱え言葉。茅の輪を腰につけることによって、疫病から家族を守ると言われている。

春を感じる「桃まつり」

数多くの桃の花が・・・
数多くの桃の花が・・・

 春になると、境内には桃の花が咲き乱れる。国道4号線、日光街道沿いでありながら、静寂を感じる場所である。社殿や神楽殿には雛人形も飾られる。そして、年によっては、桃と桜との競演の見ることもできる。

 色とりどりの桃の花が、境内のあちらこちらに咲く姿は、本当に心がほっこりとする。地元の鎮守様らしく、近くの住民の方々が花参りに訪れる。

涼のお供え、夏の「手拭い合わせ」

手拭い合わせ
色とりどりの手拭い合わせ

 また、夏も話題が満載だ。氏子町が競い合う手拭い合わせは、それぞれの町が自慢の手ぬぐいを持ち寄る。61種類の手ぬぐいが境内に飾られ、神様に涼を感じてもらう設えだ。

 特に6月は、3日に行なわれる天王祭に始まり、晦日の夏越の祓・形代流しなど、お参りの人出も多くなる。神楽殿の軒下には涼しげな風鈴、葭簀の下では、町の人々が避暑と洒落こむ。

芭蕉、矢立の初め

風鈴と葭簀が涼を感じる
風鈴と葭簀が涼を感じる

 そして、松尾芭蕉は、東北への玄関口であるこの地で、奥の細道への出立のために句を詠んだ。深川の邸宅からここまで船で進んだという。境内には「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の矢立初めの句碑がある。

 しかし、この説には、荒川区南千住と足立区北千住という双方の説がある。素盞雄神社から千住大橋を渡った足立区にも矢立初めの句碑があるのだ。どちらが正しいのか、PR合戦は足立区に軍配が上がっているような気がする。

 いずれにせよ、芭蕉は大橋を渡って、東北の地に歩を進めた。旧暦3月27日(新暦5月16日)のことである。約150日間の長い長い旅の始まりだ。

祭神降臨、富士信仰の場所

 さて、これだけの古社、由緒も気になる。

左側が小塚原富士
左側が小塚原富士

 延暦14年(795年)に役小角(えんのおづの)の弟子・黒珍(こくちん)が「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん」というご神託を授かる。

 牛頭天王と飛鳥権現の二柱の神が降臨した奇岩を祀ったのが初めと言われる素盞雄神社。この奇岩は、現在小塚原富士と呼ばれ、富士講の拠点にもなっている。神影面瑞光荊石(しんえいめんずいこうけいせき)と言われる奇岩は、地域の小学校にその名前が今でも残されている。

 ここ南千住は、昭和の時代にはテレビアニメ「あしたのジョー」ゆかりの場所にもなり、「泪橋」という交差点も残っている。また、江戸城の鬼門に当たることもあり、小塚原処刑場もあった場所でもある。

 ゆっくりと町歩きをすると、永き歴史に触れることができる。まだまだ知らない場所、何処にも・・・

水面に浮かぶ桜花
水面に浮かぶ桜花
傘の形をしたおみくじ
傘の形をしたおみくじ

(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8

取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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