「拝啓、太宰治様。本来なら、多大なる影響を与えていただいた者としては、太宰先生とお呼びしなければいけないところですが、人生の同じ旅人の一人として、失礼は百も承知で、いつものように呼びかけさせていただきます」と永井龍雲さんは、太宰が生まれた生家・斜陽館で、最後の曲を歌う前に手紙を読み始めました。
玉川上水・・・入水自殺・桜桃忌
1948年6月13日、太宰は玉川上水で入水自殺を図る。そして、その遺体は、彼の誕生日である6月19日に発見される。38歳であった。何故、発見までこれだけの時間がかかったのであろうか。それはまさしく、神様が作り上げたシナリオなのかもしれない。生誕日であるこの日は、彼が死の直前に書いた「桜桃」にちなみ、「桜桃忌」と呼ばれるようになりました。
龍雲さんは、桜桃忌当日の19日に三鷹・禅林寺、太宰治の墓に参拝してきたと話していました。そして、その足で津軽に入り、太宰が青春時代、駆け抜けた場所を巡った。そう、この斜陽館コンサートのリハーサルとして、太宰治と自らの体を一体化させるためであったとようです。
初めての試み・・・斜陽館、コンサート会場として
そして、その週末が、今日6月22日です。
「今日、あなたの生家である斜陽館で歌わせてもらえたことは、これまでの僕の生き方に対する、あなたがくれたご褒美だと思っています。ありがとう。太宰。いや、太宰治先生。本当にありがとうございます」と手紙は結ばれました。
最後の曲は、『桜桃忌~おもいみだれて~』でした。
夕暮れから始まったコンサート。そして、斜陽館の入り口付近に設えられた舞台。この最高のシチュエーションに龍雲さんは、太宰治が憑依したかのように、神々しく歌い始めたのです。
明治末期に建てられた木造建築の斜陽館、少し明るさが足りない玄関土間に作られた俄か造りのコンサート会場は、手作り感満載でした。ここは、国の重要文化財に指定されているため、コンサート自体が初めてでした。しかし、このコンサートに関わるすべての人々の熱意が、今日につながることとなりました。
~♬ 貴方は他の誰よりも素直に生きていたわ
ただ ほんの少し先を 急ぎすぎただけのこと ♪~
桜桃忌~永井龍雲~
そして、ギターの音は止み、歌宴は幕を閉じたのです。
ファンは偉大である、幸せ探しに来てくれる!
金木には、大勢が泊まれる宿がありません。そのため、終了後、脱兎のごとく、青森市内まで駆け抜け、時季の烏賊に舌鼓を打ちました。
そして、その時に東京からのメンバーに聞いた話、「行きの飛行機の隣の席に、骨折をして、ギブスをしている女性がいました。なんと、その人が斜陽館に現れたのです」と。龍雲さんの熱狂的なファンを酒の肴に、打ち上げの夜は日を跨ぎました。気が付くと、既に午前二時を回っていました。
やはり、音楽は偉大です。誰もが幸せになれるから・・・
「音楽(おと)のある東北」は、このように始まりました。次回も不思議なつながり、トピックスをお届けします!
(つづく)
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寄稿者 荒木伸泰(あらき・のぶやす) 株式会社キャピタルヴィレッジ 代表取締役