小澤征爾さんを偲んで
先日、指揮者の小澤征爾さんが亡くなられました。大変尊敬していましたし、勝手ながら、身近にも感じていましたので残念でなりません。
小澤さんの活動の一つに、水戸市でのご活躍がありました。1990年、当時の水戸市長でいらした佐川一信氏の肝いりで「芸術活動に市の予算の1%(約9億円)を」充てることとなり「水戸芸術館」が開館。同時に水戸室内管弦楽団が組織され、小澤さんがその音楽監督に就任されました。
私も旅行会社入社が1990年、初任地が水戸支店。もともと音楽好きだったこともあり、芸術館では良く聴かせていただきました。また、小澤さんと水戸室内管弦楽団は現在まで3度のヨーロッパツアーをされました(3度目は小澤さんは体調を崩されて行かれず)。そして、私も業務で現地に同行し、そのパワフルで前向きなお人柄に心酔した記憶があります。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。
水戸市、芸術・文化を通じた地域振興
市の予算で9億円を文化振興に充てる。まさに「バブル」を象徴する出来事だったかもしれません。しかし、そのおかげで水戸市が得たものは計り知れないと思います。
まずは、音楽の普及。水戸室内管弦楽団、実はメンバーに水戸の人はおらず、小澤さんがサイトウキネンオーケストラからセレクト。ほとんどがヨーロッパやアメリカの第一線で活躍されている齋藤英雄(桐朋)門下の「スーパー級」の方ばかり。かつて、吉田秀和初代芸術館館長は「サッカー日本代表のオーケストラ版が水戸室内管弦楽団」と説明されました。
日常的に触れ合う機会が生まれ・・・
春と秋の2回の定期演奏会に合わせて来日するメンバーにとって、水戸市民との距離は、当初なかなか詰められなかったようです。でも、市民から見れば、定期演奏会の前後は世界的に有名な音楽家が水戸の街をうろついて(笑)居るわけです。例えば、「芸術館の広場で小澤さんが日光浴をしてた」「某バイオリニストが必ず来るお店がある」などと噂も聞くようになりました。
そして、実際に交流の機会も増え、地元にも溶け込んでいきました。かく言う私の息子も、世界のオザワを「たまに来て焼肉ばっかり食べてるおっさん」と思っていたフシがあります(笑)。それだけ、音楽家と市民の距離が近くなったわけです。
「子どものための音楽会」も開催され、「桐朋学園大学音楽部付属子供のための音楽教室」をはじめ、たくさんの音楽教室がオープン。今では、水戸は国内音楽教育の一大都市と言ってもいいでしょう。数十年が経ち、文化芸術的素養が高い子供たちが育ってきています。
観光面でも効果が
定期演奏会は年2回。大体そのうちの1回は小澤さんの指揮なので毎回満席。県内はもちろん県外からも、たくさんの聴衆が訪れ、誘客にも多大な効果があったと思われます。
そして、前述のように水戸室内管弦楽団は、3度のヨーロッパツアーを行っています。私も同行しましたが、コンサートがある街を歩くと、「OZAWA」「MITO」の文字が書かれたポスターがあちらこちらに貼られています。飲みに行けば「お前、水戸から来たのか!あのオーケストラはすごいな!」と話しかけられる。
これだけ「MITO」が街中に貼られていること自体、大変なシティセールス効果があります。さらに「OZAWA」のネームバリューはヨーロッパで絶大ですので「MITO」は多くのヨーロッパ人の知る町となります。今では、定期演奏会に海外からの観光客が聞きに来ることも珍しくないそうです。
「地域振興」はさまざまな手法で
現在、国は「地方創生」を旗印に、地域の活性化を目指して動いています。「地方創生臨時交付金」「デジタル田園都市国家構想交付金」など、地域の優秀なアイディアに対して内閣府から交付金を拠出する形がこの頃のトレンドでもあります。
たまたま、私が11年を過ごした水戸市では、「芸術」を起点に「振り切れた」手法で名を馳せることに成功しました。今では、さまざまな自治体があの手、この手で「地域に賑わいを」と頑張っていますが、成功例はそれほど多くないように思います。
私も地方議員の端くれとして、どうやって我が千葉県、大網白里市を何とか多くの人に知ってもらおうかと日夜悩んでいます。皆様もぜひ、ご自分の地域がどのように発信しようとしているか、調べてみてはいかがでしょうか。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=493
寄稿者 森けんじ(もり・けんじ) 大網白里市 市議会議員