奈良を訪れる人は、皆それぞれに目的を持っておられることと思います。あなたは、奈良で何を見たいと思いますか。今回は、建築に焦点を当てたいと思います。それも日本で最も古い建築を。
日本一の数「最古級建造物」・・・理由は?
奈良には最古級の建築物が日本一集積しています。世界最古の木造建築である法隆寺、奈良時代の創建当時の建物として東大寺の法華堂(三月堂)、正倉院、転害門(てがいもん)、唐招提寺の金堂と講堂、薬師寺東塔、新薬師寺など、1300年から1350年の歳月を経て現存する建築が多数あります。
少し時代を下ると、鎌倉時代に建てられた東大寺の南大門、鐘楼、興福寺北円堂などのほか、奈良時代に創建された建物を再現したことから創建当時の様式を伝える建築も多数存在します。
奈良になぜこれほどの古建築が集中しているのかと言えば、もちろん奈良に都があったからです。しかし、京都にはこれほど古い建築は残っていません。京都にあった建物は応仁の乱の時にほぼすべて消失してしまったからです。それに対して、奈良は戦火で失われた建築が幸いにも少なかったこと。そして、消失した建築も朝廷や藤原氏、鎌倉幕府などの力で再建されてきたからです。
太い柱が作り出す、その姿
奈良の古建築の魅力は、ただ古いだけではありません。私が思うその魅力はまずは構成美です。奈良の古建築はとても堂々としているのです。軒が深く大きな屋根と、巨大な柱を用いていることから、そのような印象を受けます。
太い柱が多いのは、古代に巨大建築物を建てた当時はまだ樹齢1000年以上の木材が豊富にあったからです。その後建築物が増加するにつれて木材は小さくなりました。また、都から遠く離れた場所から調達しなければならなくなりました。それが飛鳥、奈良、京都と遷都した大きな原因という説もあります。
(参考書籍「日本史の謎は地形で解ける」PHP文庫)
木々の特性を活かした「法隆寺」
法隆寺は、飛鳥時代の建築様式を伝えています。金堂には樹齢2000年以上の太い柱を用いています。そして、一本一本の木の癖をうまく利用して1300年以上経ても残る建築を実現しました。
右に反る木には左に反る木を反対側に合わせたり、木が生えていた場所の日照条件から生育状況が異なるため、南向きに生えていた木は南側を向くように配置するなど、木の特性を知り尽くした大工が木材の配置にまで気を配ったことで1300年以上も続く木造建築が実現したそうです。
(参考書籍「法隆寺を支えた木」NHKブックス)
ちなみに、法隆寺の柱の中心部が膨らんでいるのはギリシャ建築のエンタシスに由来するという説は明治時代に唱えられたものですが、具体的な根拠はないそうです。
(参考書籍「日本の建築」岩波新書)
まるで、宝箱「東大寺」
東大寺は、名建築の宝庫です。法華堂は奈良時代創建部分に鎌倉時代の増築部分を組み合わせたもので、東大寺最古の建築の一つです。
転害門はあまり観光客が訪れませんが、奈良時代創建当時のもので、切妻屋根が質素な中にも堂々とした雰囲気を伝えます。
正倉院は湿気の多い風土の中で宝物を1250年も伝えるための空調機能を備えた独特の建築です。
最も有名な大仏殿は江戸時代の再建で、奈良時代の創建当初よりも規模が小さくなっているそうですが、日本最大の木造建築です。時代が下るにつれて規模が小さくなったのは、古代のような良材がもはや存在しなかったためです。南大門は鎌倉時代の武士好みの様式で、装飾的な部分が少なく、豪壮な雰囲気を醸し出しています。
忠実な再現力「興福寺」
興福寺もまた、名建築が多数存在します。最も有名な五重塔や東金堂は室町時代の再建ですが、いずれも国宝です。
興福寺の建築は後世の再建も多いですが、奈良時代創建当時の様式をかなり忠実に再現しているそうです。
(参考書籍「奈良で学ぶ寺院建築入門」集英社新書)
表現豊かな「西ノ京(薬師寺・唐招提寺)」
奈良の中心部から少し離れた西ノ京というエリアには薬師寺と唐招提寺があります。薬師寺東塔は、フェノロサが「凍れる音楽」と表現したことで有名で、とても優美な建築です。また、唐招提寺は、鑑真和上が創建した寺として有名で、とても大きな屋根が特徴です。「天平の甍(てんぴょうのいらか)」と言われるものの代表です。
ここに紹介したものはほとんどが国宝で代表的なものだけですが、奈良には美しい古建築がまだまだたくさんあります。上記の書籍などを参考に少し予備知識を持ってから訪れれば、細部にまで発見があることと思います。次に奈良を訪れるときは、古建築に注目していただくと新たな楽しみ方が経験できると思います。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=32
寄稿者 増田充康(ますだ・みちやす) 三重交通GHD 取締役