侘数寄を超えた花数寄
肱川流域随一の絶景「臥龍ヶ淵」に面する日本建築技術の集大成であり、同じものをもう一度造ることはできないと言われる数寄屋造りの風雅な臥龍山荘。雄大な肱川と対岸にそびえる冨士山などを借景に、その庭園も含めて自然との共生の傑作とも言われる。
建築家の故黒川記章氏は、ここを訪れた時に
桂離宮、修学院離宮にもないもう一つの日本建築の典型だと思う。
それは多分に民家の要素をもっていることから来る力強さであろう。
また、別の意味で言えば書院造と数奇屋との実に巧な共生の意匠、
あるいは侘数寄を越えて、もうひとつの花数寄の意匠と言ってよいのではないか。
(花数寄 黒川紀章 著)
と絶賛されている。
生い立ち
その歴史は、昔より肱川随一の名勝地であったこの地に、文禄年間に藤堂高虎の家臣渡辺勘兵衛が庭園を造ったことに始まる。明治になって、新谷藩出身の豪商で城甲家(大洲藩御用商人)の婿養子だった「河内寅次郎」が荒れ果ててしまっていることを嘆き、購入したことでそのページをめくる。
当時、神戸在住であった河内寅次郎に成り代わり、義理の弟であった城甲乙吉と息子の文友が多大な貢献をしていたことはあまり知られていない。
素晴らしい日本建築
国の重要文化財にも指定されている母屋臥龍院の「壱是の間」は縁から見るだけでで素晴らしい雰囲気を感じる。部屋の四隅の床下に、備前焼の壺が3個ずつ合計12個埋められていようとは誰も想像できない。
その隣室の「霞月の間」は、裏露地の名建築「不老庵」に仕込まれた「月光反射」を感じさせる設えがその霞棚に施されているのだ。
裏露地には名建築「不老庵」がある。規模は小さいが、棟梁中野虎雄が施した「懸造り」は、度重なる肱川の氾濫にも耐え、近年では2018年7月7日の大氾濫においても危機的状況に陥りながらも耐え抜いて今日がある。
自然と共生する日本建築
幾多の自然の猛威にもさらされながらも、今日、その勇姿を私たちに魅せてくれているすごさ。対岸の如法寺河原から観るも良し、絵になる写真も撮影できる。
肱川という素晴らし舞台と絶景臥龍ヶ淵。そこにいきづく先人たちの深い想いは、私たちが次代へと送り届けなければならない「日本人の美学」である。その美学を撮影して百年先のみんなに伝えるのが地域創生写真家としての私の役割であると認識している。
日本建築技術を結集したとも思われる臥龍山荘へは、今も季節に関係なく多くの人々が訪れそのすごさに驚きを隠さない。文禄年間から江戸時代へ、そして、明治、大正、昭和の時代から平成、そして今、令和から百年先へ。
(つづく)
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14
寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員