埼玉県草加市と川口市に隣接した都県境に約63ヘクタールの防災緑地を兼ねた都営の総合公園がある。舎人(とねり)という日本史の教科書に出てくるような場所にある舎人公園だ。防災緑地とは、戦前1940年に都心から20km圏内に総面積20万-50万坪を複数設置することが決定されたものである。
陸の孤島は、交通至便に
日暮里舎人ライナーが開業したのは2008年。それまで、「陸の孤島」と呼ばれ、都心までの公共交通機関は、路線バスのみであった。その理由は、真っすぐ結んでいる都道(尾久橋通り)が常に渋滞を起こすためだ。日暮里駅までの約10キロの距離が1時間以上もかかっていた。
開業後は、舎人公園駅ができ、約20分で到着するという交通至便な場所となった。そして、近隣の住宅環境も向上し、緑が多い町は人気の的となった。しかし、この人口拡大が大きな問題を生じている。日暮里舎人ライナーは、固定編成の5両である。都心に向かう交通手段は、バスから鉄道に変わったが、急激な人口増加には対応できていない。そのため、混雑率が日本一高い路線と言われている。また、ゆりかもめと同様の新交通システムであるため、風などの災害に弱い点も評判を悪くしている。
公園の一般開放は、遅々として進まず・・・
太平洋戦争の前後、舎人公園周辺の土地買収は早く進んだ。しかし、東京都が一時的に農耕地として開放していたため、政府に接収されてしまった。そのため、開発がかなり遅れ、最終的に公園として一般開放されたのは1981年のことである。高度成長期の東京都の開発は、中心部偏重主義と言われたこともあった。そのため、隣接県との都県境の開発は、後回しにされたことは否めない。ここ舎人公園も近くのトラックターミナルなどとの抱き合わせ開発が行われたこともあったであろう。
広大な敷地をうまく活用し、公園地下には、日暮里舎人ライナーの車両基地もある。また、週末ともなると、園内をランニングをする者や木陰で読書にいそしむ人、野外バーベキューを楽しむグループなど、数多くの人々の憩いの場となっている。
植栽をひとつの観光コンテンツ化して・・・
さて、コロナ禍が5類に移行された2023年、5万本のネモフィラが植栽された。ネモフィラというと、茨城県那珂湊の「ひたちなか海浜公園」が有名である。残念ながら、植栽の本数などでは比較にならない。しかし、ネモフィラの咲く場所は、大空と大地の双方が「青」一色となる。また、遅咲きの桜とネモフィラの競演も見ることができ、華やかな気持ちでいっぱいになる。
一方、東京都は、緑豊かな都立公園をさまざまな形で活用することを模索している。先般のオリンピックの際にも課題となっていた「ナイトタイムエコノミー」。その素材開発のために、夜の観光素材の創造に努めるようになっている。
これは、「花と光のムーブメント」と称しているものだ。桜とチューリップが色とりどりに咲き誇る「浮間公園」や水仙と観覧車が咲く「葛西臨海公園」などである。そして、昼間の観光コンテンツだけでなく、イルミネーションやライトアップを設えて、積極的に夜の観光の拡大を進めているのだ。近隣住民へのサービス機能だけではなく、拡大するインバウンドへの対応とも考えられる。
裾野が広い経済効果は、将来につながる投資活動
観光から得られる経済効果は、裾野が広い。目に見える「医療」や「福祉」、「子ども」施策は、その世代には好印象である。しかし、観光がもたらす直接的・間接的な経済効果は、将来の日本を観光立国として、独り立ちさせるものである。「無駄遣い」ではなく、「未来への投資」だと考えれば、都庁のプロジェクションマッピングも効果は大きい。
舎人公園は、桜とネモフィラが連続して咲き誇る。「夜の彩りも一興だ」と近隣住民にも好評のようだ。来年もバージョンアップした姿を期待したいと思っているところである。
(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8
取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長