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平成芭蕉の「令和の旅指南」⑭ デカンショ節で知られる城下町 丹波篠山

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「日本遺産のまち」デカンショ節で有名な丹波篠山

 旧丹波国として古来京都への交通の要衝であった丹波篠山市は、町並みや祭りなどに京文化の影響が色濃く残っています。篠山城の城下町として栄えた町ですが、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節でも知られています。

 毎年8月15、16日、丹波篠山市内にある町家の軒先の提灯に火が灯される頃、篠山城跡に組まれた櫓から、デカンショ節が聞こえてきます。このデカンショ祭は、盆踊りから受け継いだ親しみやすさがあり、あらゆる世代が楽しみにして参加する「ハレ」の場となっています。また300番を超えるデカンショ節の歌詞には、ふるさとの文化と伝統的な暮らしが投影されているだけでなく、今も人々は新たな時代を投影し、新たな丹波篠山を後世に歌い継ぐ取り組みを続けています。

 そのため平成27年4月24日、「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」というストーリーが、文化庁の認定する最初の日本遺産となりました。

 また、今田地区付近の立杭エリアで焼かれてきた陶器「丹波焼(立杭焼) 」は、日本六古窯の一つにも数えられることから、「きっと恋する六古窯─日本生まれ日本育ちのやきもの産地─」というシリアル型の日本遺産にも認定されており、丹波篠山市は今日、歴史と文化の薫り高い「日本遺産のまち」として注目を集めています。

 そこで私は、江戸時代そのままの姿で妻入りの商家が立ち並ぶ河原町の一角にある丹波古陶館で「古丹波コレクション」を見学した後、丹波篠山の青山歴史村「デカンショ館」を訪ね、丹波篠山の人々の生き様に触れてきました。

青山歴史村
青山歴史村

青山歴史村「デカンショ館」とデカンショ節の由来

 デカンショ館の中にあるシアター室では「丹波篠山デカンショ物語」が放映されており、デカンショ節が学生歌として全国に普及した経緯が紹介されていました。それによると、篠山藩主の青山家は学問を奨励し、優秀な者を東京へ遊学させていましたが、この遊学生が明治31年(1898年)の夏、千葉県館山の宿泊先「江戸屋」の二階で郷土の盆踊り歌を歌っていた際、それをたまたま階下に宿泊していた旧制一高の水泳部員がこの歌を聞きとめ、意気投合したことが、デカンショ節が学生歌として広まるきっかけとなったそうです。

 「デカンショ」という言葉の由来にはいろんな説があり、篠山地方の方言「……でござんしょ」、あるいは徹夜で酒を飲み明かすという意味の「徹今宵(でっこんしょう)」、さらに丹波(たんば)地方から灘(なだ)方面へ酒造りに出かける杜氏(とうじ)たちの「出かせぎしょ」、さらには篠山藩主青山忠誠が開いた鳳鳴(ほうめい)塾の生徒たちが、デカルト、カント、ショペンハーウエル等の哲学者の名の頭文字を取ったものという説もあります。

 しかし、その起源は、江戸時代から歌われていた盆踊り唄「みつ節」とされ、かつて盆踊りは一年中続く厳しい農作業や労働に明け暮れた人々にとって、かけがえのない楽しみのひとつであり、夜明けまで歌と踊りが途切れることはなかったと言われています。

デカンショ祭りの舞台となる丹波篠山のシンボル「篠山城」

 デカンショ館を見学した後は、一生に一度は食すべしという「デカンショうどん」を食べて、デカンショ祭りの会場にもなっている篠山城跡を訪ねました。天下普請で築かれた町のシンボルの篠山城は、デカンショ節「並木千本 咲いたよ咲いた 濠に古城の 影ゆれて」等、幾度となく歌詞の中で歌われていますが、天守台に立てば、城下町を中心に宿場町、農村集落、窯業集落などの景観、全国的に有名な黒大豆や山の芋などを生産する田畑、さらには緑豊かな山林や山並みを一望できます。

 この城は、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が大坂城の包囲と豊臣家ゆかりの諸大名を抑える拠点として築いたものです。初代城主は家康の実子である松平康重が務め、明智光秀が落城させた八上(やかみ)城から移り、松平三家8代と青山6代と、いずれも徳川譜代大名に引き継がれて篠山藩の拠点として機能していました。

丹波篠山城跡
丹波篠山城跡

かけがえのない風景と伝統文化を今に伝えるデカンショ節

 そしてデカンショ節「オラが殿さは 六万石よ 今じゃのどかな 城下町」と歌われる城下町は、江戸時代の御徒士町(おかちまち)武家屋敷群や商家町の町割りなど城下町の要素を残しています。また、篠山城周辺は、桜の名所でもあり、約100種類の桜が鑑賞できます。桜の花は実りの先触れで、古代には神意の発現とされ、「花見」の踊りによって豊凶が占われたのですが、盆踊りだけでなく「花見」にもデカンショ節はふさわしいように感じます。

 私は現在、「灘の生一本」で知られる灘五郷のひとつ、西宮に住んでいますが、「灘の名酒はどなたがつくるおらが自慢の丹波杜氏」というデカンショ節の歌から、灘五郷の酒を天下に知らしめてくれたのは丹波杜氏であることを知りました。デカンショ節はこのように地域の伝統文化やかけがえのない風景を後世に伝えることの大切さを教えてくれています。また、デカンショ節は、歌われるたびに歌の中の情景が共感を呼び起こし、人々の気持ちを鼓舞しながら、地域を応援し続けてきたのだと思います。

御徒町武家屋敷群
御徒町武家屋敷群


寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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