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平成芭蕉の「令和の旅指南」⑮ 葡萄畑が織りなす風景と勝沼ワイン

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日本最古の甲州ブドウの木「甲龍」とブドウ畑

 甲府盆地の東部は、年間の降水量が少なく、日照時間も長いため、果樹栽培に適しており、平坦地から傾斜地まで「葡萄畑が織りなす風景ー山梨県峡東地域ー」が日本遺産として登録されています。この地域の中心である甲州市の勝沼には、日本最古の甲州ブドウの木「甲龍」が残っております。現代の甲州ブドウは接ぎ木で育てられることが多いのですが、この「甲龍」は接ぎ木でない純粋な甲州ブドウで、とても貴重な遺産です。また、勝沼は日本でワインが広まる以前から個人や集落でブドウのお酒を作っており、日本で最初のブドウ酒の会社ができたのも勝沼でした。

日本最古の甲州ブドウの木「甲龍」
日本最古の甲州ブドウの木「甲龍」

 勝沼ぶどうの丘から甲州街道にかけては、日川(ひかわ)の河岸段丘が形成されており、日川から取水された水は、「セギ」と呼ばれる水路を経由してブドウ畑の農業用水や生活用水として重要な役割を担っています。昔は日川の周りは砂利の河川敷で、大雨が降ると川の水を止めることができず、畑は流されていました。そこで、この川の水で畑が流されるのを防ぐために「水制(すいせい)」と呼ばれる石積みが造られましたが、今日ではその水制の上にはブドウ棚が架かっており、一面はブドウ畑となっています。

甲州街道勝沼宿と日本ワイン産業

 ブドウ栽培の中心となるブドウ棚は、今日では針金で作られていますが、昔は勝沼のあちこちに生えていた竹が利用されていました。また、段ボールのような素材がなかったので、ブドウは竹で作られた篭に入れて出荷されており、運送手段となる車もなく、ブドウの入った篭は馬が運び、途中で死んでしまった馬を供養するために勝沼の甲州街道沿いには数多くの馬頭観音が立てられています。

 この甲州街道は江戸時代に整備された五街道の一つですが、勝沼には勝沼宿が設けられ、ブドウ栽培業だけでなく、旅籠や金融業も栄え、荻生徂徠は『峡中紀行』の中で「勝沼の宿は人家多く繁盛なるところ甲州街道で一番也。甲州葡萄は此国の名物なり」と紹介しています。

勝沼のブドウ棚
勝沼のブドウ棚

 実際、街道沿いには日本ワイン産業の黎明期からワイン醸造を行っている創業100年の歴史をもつ「原茂ワイン」や東京オリンピックを契機とするワインブーム以前に創業した50年以上の歴史をもつワイナリーもあります。

 私はかつて「甲州街道を歩く旅」に同行して勝沼を訪れた際、勝沼宿は甲州街道随一の宿場町であったこと、日川から取水されるセギと呼ばれる水路とブドウ畑、養蚕神信仰のことなどは解説していましたが、日本ワインの歴史については触れていませんでした。

 しかし、令和2年に甲州市は茨城県牛久市とともに「日本ワイン140年史 ~国産ブドウで醸造する和文化の結晶~」というストーリーも日本遺産に登録されましたので、今後はブドウに関する行基伝説や雨宮勘解由(かげゆ)伝説に加えて、勝沼ワインと日本ワイン産業の先覚者である宮崎光太郎についても紹介したいと考えています。

創業100年の歴史を誇る「原茂ワイン」
創業100年の歴史を誇る「原茂ワイン」

柏尾山大善寺の「国産ブドウで醸造する和文化の結晶」

 勝沼の柏尾山大善寺は、新選組の近藤勇や武田信玄公の「理慶尼」でも有名ですが、ブドウに関する行基伝説や雨宮勘解由伝説から「ぶどう寺」とも呼ばれています。甲州ぶどうの発祥には、2つの伝説があり、「大善寺伝説」では、718年、行基菩薩が日川渓谷の大きな岩の上に静座をしていた折、右手にぶどう、左手に法印を持った薬師如来が現れ、法薬であるぶどうの作り方を村人に伝えたと言われています。そして行基菩薩が片手にぶどうを持ち、もう一方の手で大木から結印した薬師如来と日光・月光菩薩を彫って安置し、大善寺が開かれたとされています。

 一方、「雨宮勘解由伝説」では1186年、勝沼の上岩崎に住む雨宮勘解由が山ぶどうの変生種を見つけ、それを改良・普及し、源頼朝に献上してお褒めの言葉を賜ったと言われています。通常、お寺でワインを飲むイメージはありませんが、この大善寺では、山梨県文化財の庭園を望みながら芳香な甲州ブドウで醸造されたグラスワインを飲むことができ、私はこれぞ「国産ブドウで醸造する和文化の結晶」だと感じました。

日本ワイン産業の先駆者「宮光園」の宮崎光太郎

 そこで、私は「日本ワイン」発祥の地とされる甲州市近代産業遺産の「宮光園(旧宮崎葡萄酒醸造場)」も訪ね、1927年(昭和2年)のワイン造りを記録した貴重な『宮光園映像資料』フィルムと古写真を見学しましたが、ワイン産業の先覚者である宮崎光太郎氏の先見の明には感銘を受けました。

 宮崎光太郎氏は当時の日本人の口に合わなかったワインにハチミツ等をブレンドして飲みやすいように工夫しただけでなく、ブドウ園に来てもらった顧客に、ブドウやワインの飲食に加えて工場も案内する、といった「観光ブドウ園」を始めた観光事業の先駆者だったのです。私は観光事業に携わる者として、宮崎光太郎氏の「自社のワイン造りを観光と組み合わせたワイン産業として発展させる」という先進的な考えに共感を覚えました。

宮崎光太郎氏の「宮光園」
宮崎光太郎氏の「宮光園」

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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