幕末1854年、日米和親条約の締結により、幕府は箱館の開港を決定しました。その結果、市中に外国人が混在し、異国情緒豊かな街並みが形成されるようになりました。そして、明治維新になると「函館」と改称されました。
その由来は、アイヌ語で「入江の端」・「湾内の端」を意味する「ウスケシ」・「ウショロケシ」です。館を築き、形が箱に似ていることから「箱館」と呼ばれるようになったのです。
函館市は、北海道南端、天然の良港である函館港によって北海道と本州を結ぶ交通結節点です。道南地域の中心都市として発展してきました。札幌市・旭川市に次ぐ北海道第3位の人口の町です。
かつては、青森と函館の間に青函連絡船が運航されていました。昔は、航空運賃が均一で安い料金はありません。そのため、夏ともなると、学生たちが大きな荷物を持って、連絡船を利用して道内にやってきました。しかし、その歴史も、1988年3月に青函トンネルが開通することによって終焉を迎えました。
山に登ることが許されると・・・
市街地は陸繋島となった函館山(臥牛山)から函館平野や亀田半島に繋がる砂州です。また、函館港は形が巴状になっていることから別名「巴の港」とも言われます。その象徴である函館山は標高334m。戦前までは山全体が要塞となっていました。そのため、一般人は入山することも許されず、写真に撮ることも禁止されていました。
戦後になり、ロープウェイが敷設され、観光道路も整備されます。そのことによって、山頂からの景色は、函館を代表する観光地となっていきました。「100万ドルの夜景」と称される函館夜景は、ガイドブックの表紙を飾るようになりました。その結果、日本を代表する夜景として、観光客の憧れの的となっていきます。また、町中に「ハート」という文字が配置されていて、探し出すと幸せになれるという噂もあります。
ゆっくり町歩き、楽しみは倍加していく
さて、函館の観光は、山からの夜景だけではありません。周辺まで足を延ばすと大自然もあります。しかし、コンパクトシティは、さまざまな楽しみ方を与えてくれます。
例えば、主要観光地を結ぶ路面電車に一日乗車券を購入して乗ってみる。終点には、公共施設の温泉銭湯もあり、造船のドックもあります。
また、国内のいずこを探しても見つけることができない星形をした城郭・五稜郭。ゴールデンウィーク前後に咲き誇る桜花を、隣接するタワーから俯瞰することもできます。
一方、函館山の麓には、数多くの坂道があります。その中でも、CMでも有名になった八幡坂からの景色は秀逸と言えます。CMから取り「チャーミーグリーンの坂」と呼ばれ、観光振興に大きな影響を持ちました。初老のご夫婦がスキップをしながら、坂を下りていく。1982年にスタートしたものですが、旧国鉄のフルムーンなどの先駆けとなりました。そして、ここは正面に青函連絡船・摩周丸も見ることができるフォトスポットです。
その楽しみは、「宿泊」「温泉」「食」へと広がっていく
山頂から見る景観は、函館という町が扇状に広がり、手に取るような範囲であることがわかります。右手には函館空港があります。離発着する航空機も眼下に見ることができます。また、道内有数の湯の川温泉もすぐそばにあります。
年間500万人が訪れる函館は、温泉旅館に宿泊するか、町の中心のホテルに泊まるか、選択することが可能な観光地です。そして、駅前に朝市があるために、ホテルでの朝食の喫食率が低いというデータがあります。そのため、最近、町中のホテルは朝食に力を入れ、しのぎを削っています。朝食ブッフェを目的にホテル宿泊を選ぶ観光客は、どんどん増えています。それ故、温泉旅館も「食」に力を入れています。
ちなみに、ホテルに宿泊すると函館山の夜景観賞にも出向くことができる点もホテル宿泊が増えている理由の一つです。
北海道観光は、ツアーバスに乗って、道内を一周する旅行が主流でした。しかし、航空運賃が低廉化し、早期割引などが適用されるようになると、「美味しい食べ物」を求めて、札幌一極集中の時代に変化しました。函館は、それに対抗するために、朝食ブッフェに力を入れるようになりました。新規開業のホテルもまだまだ計画されていると聞きます。
リピーターづくりのために・・・
新幹線を利用しても4時間の函館は、陸路・空路ともに選択ができる町です。多岐に渡る楽しみ方を保有している場所は、リピーターを生みます。新たなコンテンツ作りを進め、これからもブラッシュアップしてほしいと思う観光地です。
寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨/代表
(これまでの寄稿は、こちらから)https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=181