北海道総合博物館でのツーリズムに関する展示が好評だ(2023年9月まで)。展示は、伊豆芳人編著『ツーリズム:未来への光芒』(ブックレット・ボーダーズ9号、北海道大学出版会)をベースに、ANAからお借りしたモデルプレーンや『翼の王国』創刊号などから構成されている。ところで航空会社は人を遠くにつれていくビジネスだから、着地点での観光を仕掛けるとなると、地元の足回りを担う企業の協力も必要となる。そのひとつが、新婚旅行のメッカとして一時代を築いた宮崎交通(現在は宮交ホールディングス)であった。
第2回 えびの高原~鹿児島と宮崎のあいだ~
私は都城の小学校時代、宮交の青いバスで毎日、通学していた。休日にはバスに乗って一人旅もした。「牛之脛」なんていう素敵な行き先があり、終点まで運転手と二人で行ったこともある(すぐに折り返すのでバス停を見に行ったようなものだが)。
当時の家族旅行で憧れの場所が、宮交が開発した「えびの高原」だ。鹿児島のイメージが強い霧島観光だが、その宮崎側にも観光客を誘致したいという思いがあったのだろう。小林からコスモスで賑わう生駒高原を経て到着する、えびの高原は素晴らしい。冬には霧氷が楽しめ、スケートもできる。いまは北海道暮らしで雪には辟易しているが、初雪体験は南国みやざきである。宿泊したりんどう荘の名前はいまでも覚えている。
ケガで一時リタイアしていた仮面ライダー1号の藤岡弘氏が復帰し、佐々木剛氏の2号とダブルライダーのかたちで共演したのも、えびの高原だ。子ども心に興奮した覚えがあり、いまでもDVDを見直したりしている(第40話「死斗!怪人スノーマン対二人のライダー」1972年1月1日放映。ただし、宮崎では、民放2チャンネルしかなく、放映は後日だった)
実はブックレット『ツーリズム:未来への光芒』には宮交のコンテンツはほとんど含まれていない。その宮交を博物館でぜひ!と思ったのは、私の個人的な思いからだが、当時の時刻表、ポスター、昭和の各種映像(もちろん、全盛期のえびの高原も)などで構成された展示は、日本のツーリズムの歴史を考える貴重な機会を与えていると思う。
都城に暮らしていた私にとって霧島は、えびの高原と一体であり、鹿児島というよりは、宮崎の思い出である。だが、かつて小林から乗り入れていた宮交のバスはいま、この停留所まで運行されてはいない。
<北海道総合博物館での展示の案内>
https://hokudaislav-ees.net/news-event/20220928343/
寄稿者 岩下明裕(いわした・あきひろ) 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授