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地域創生撮影活動第三章 写真が語る地域の魅力『伝わる力』

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 元々は単なる趣味の世界でしかなかったサラリーマン時代の写真撮影。子どもたちがまだ小さくて子育てに必死だった傍らで成長の記録を残しておくことが目的だった。

地域創生撮影活動のはじまり

 その状況に変化を来したのが1992年の独立開業と同時に「街づくり」に足を踏み入れたことだった。以来、私の撮影スタイルは今で言う「地域創生撮影」だ。1998年9月に産声を上げた愛媛県大洲市の街づくりは、当時の国の流れに沿ったもので「中心市街地活性化」でありそのための機動力を発揮する機関として全国レベルで組織化が進められたのが「TMO=Town Management Organization」だった。

 役割としては現下の「DMO」の前身であり考え方も表現が変わったこととインバウンドの要素が入っただけで類似性は高い。ただ一点大きな違いは「TMOは第三セクター方式の株式会社形態」だったが「DMOは一般社団法人」としてより公益性を高めているところだ。

 私は、その「TMO(大洲市街づくり会社)」を活動基盤として当市では賛否両論あった「中心市街地活性化」よりも先に「観光街づくりによる集客交流基盤生成」に取り組むべきであるとの考え方を打ち出した。当時は、議会などからも含めて「向かうところ味方なし」の状況。さらには、高速道路の延伸に伴う市内中心部の空洞化現象が一気に進み始めた最悪の状態だった。そんな折、2004年に開催された「えひめ町並み博2004(愛媛県主催)」が状況を一変させた。

無名の新人が、脚光を浴びて・・・

 考え方の軸として「キャリア連携」を打ち出し、その効果として大手旅行会社との契約締結を目指した「三位一体型ツーリズムとオンリーワン」は、財団法人日本交通公社の平成18年度(2006年)観光実践講座「地域主体の観光を考える・・・」に採用された。さらに、翌年には『季刊中国総研2007 vol.11-4 No.41』 において紹介され、このことがきっかけとして当時の観光学会などから多くの研究者や専門家、そして学生さんなどが視察に訪れ話題となった。

大洲駅の向こうにお城と特急列車
2021年2月3日撮影

 国内旅行において大洲市は当時無名の新人。隣町には飛ぶ鳥を落とす勢いの内子町の存在があった。「道後温泉+内子町の町並」というセット商品に敵うはずもなく、いかなる手立てでこの地域間競争に立ち向かうのか悪戦苦闘する中で見つけた方法があった。それが当時次第に活発化し始めていた「SNS」をプラットホームとした「地域情報発信」だった。その材料が私の撮影する地域の写真でありこれを「情報素材」と言っている。

写真に求めらえること・・・「伝わる力」

 私の考える「情報素材」としての写真に求められることとは・・・まず「話題性」であり、これが「独創的」であれば「継続性」が生まれるという「情報素材サイクル」だ。SNSを介しての情報展開にはコメントを通した意思の疎通が生まれる。そして、それが行動へと結びつき実際に城下町大洲へ人々は訪れる。ここにある一つの必要性が生まれる。それが現地での「案内人」の必要性である。

大洲の日常、鵜飼舟の休息
2010年7月8日撮影

 一つの場面であっても、四季、朝夕で8パターンある。これに用途を加味したらパターンはさらに増える。これは「地域の顔」がそれだけあると理解しておくべきことで、当然現場の案内人としてもこのことをしっかり認識しておかなければならない。撮影するときから既に用途がほぼ決まっていると言っても良い「情報素材」としての写真には、現場での動きを想定した「伝わる力」が必要であり、このことを念頭に置いた写真撮影は、風景写真で言えば絶景撮影とは全く別物である。ならば、写真に求められる「伝わる力」とはいったいどういうことなのかは、次月でお話しさせていただきたい。

鵜飼舟のバックに不老庵
2015年8月6日撮影

(つづく)

冒頭の写真は、2023年11月3日撮影

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14

寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員

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