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平成芭蕉の「令和の旅指南」⑳ 大谷石文化が息づくまち宇都宮

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石工が掘り出した大谷石の巨大地下迷宮

 宇都宮と言えば、「餃子のまち」として知られていますが、これはかつて宇都宮に置かれた陸軍第14師団の人たちが満州滞在中、当地の中国人たちから餃子作りを学び、戦後、帰国して満州仕込みの餃子作りを始めたことに由来します。

 そこで宇都宮駅前には「餃子の像」が建てられていますが、これは宇都宮の中心街から北西約8㎞に位置する「石のまち」大谷の石が使われています。この石の産地である大谷地区を訪れると、周辺は隆起した凝灰岩の奇岩が連なり、今ではその御止山(おとめやま)は国の名勝「大谷の奇岩群」に指定され、大谷景観公園として整備されています。

 火山の噴火によって降り積もった火山灰が、長い時間をかけて固まった石が凝灰岩ですが、「大谷石」はこの「陸の松島」と呼ばれる大谷地域でとれる軽石凝灰岩です。大谷地域の人々は、古代より大谷石とともに暮らしてきましたが、この地の大谷石の採掘場の多くは地下にあり、坑道の先には天井と壁や柱で構成される巨大な空間が残っています。

 そのため地下の広大な採掘跡地は圧巻で、テレビや映画の撮影にも利用されるようになり、2018年5月には「地下迷宮の秘密を探る旅~大谷石文化が息づくまち宇都宮」というストーリーで日本遺産に登録されました。

カネイリヤマ採石場跡地(大谷資料館)の地下空間
カネイリヤマ採石場跡地(大谷資料館)の地下空間

大谷観音と大谷石産業の歴史

 私は「石のまち」大谷が日本遺産に認定されたことで、改めてその構成文化財である大谷資料館(カネイリヤマ採石場跡地)、大谷寺の大谷摩崖仏、大谷景観公園、カネホン採石場(高橋佑知商店)、そして市内のカトリック松が峰教会、旧篠原家住宅などを視察してきました。

日本最古級の摩崖仏で知られる大谷観音
日本最古級の摩崖仏で知られる大谷観音

 大谷資料館の地下にある、1919年から掘り続けられた「カネイリヤマ採石場跡地(大谷資料館)」は、140×150mの広大な地下空間となっており、まるでインディ・ジョーンズのごとく地下迷宮探検が楽しめます。

 大谷石は軽くてやわらかく、加工しやすいので、古くからさまざまなものに利用されてきましたが、大谷石の採掘場は「ヤマ」と呼ばれ、それぞれに山の神が祀られており、周辺の神社などには大谷石が使われた鳥居や祠が多く残っていることから、大谷地域の人々は大谷石には精霊(神の力)が宿っていると信じ、大谷石を神聖なものと考えていたことが伺えます。

 天然の洞窟の中にすっぽりと包まれた大谷寺(おおやじ)本尊の大谷観音は、大谷石の崖に彫られた丈六(約4.5m)の千手観音で、日本最古級の摩崖仏とされ、国の重要文化財に指定されています。鎌倉時代には霊場となり、多くの人が訪れていますが、人々は大谷石に祈りや願いを「彫り」、そして石材としても「掘って」きたのでしょう。

 カネホン採掘場(高橋佑知商店)は、今も大谷石が掘り出されている露天掘りの採石場で、安政元年頃より採掘されている大きな空間には、手掘りの跡が残されています。土曜・日曜・祝日には採石場の見学ができ、物づくり体験や宝探しなどが楽しめる人気のスポットになっています。

カネホン採掘場(高橋佑知商店)の露天掘り
カネホン採掘場(高橋佑知商店)の露天掘り

掘り出した大谷石で築いた建築物

 明治時代以降、洋風の建築物がさかんに造られるようになると、大谷石は宇都宮商工会議所、旧大谷公会堂などにも使われました。特に1932年設立の松が峰教会は、建物の内壁と外壁に大谷石が貼り付けられ、あたかもロマネスク様式の石造建築のような見応えのある教会で、日本では珍しい2つの塔をもつ教会です。

 そもそもこの大谷石は、大正時代に有名なアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが、旧帝国ホテルの素材として使用したことで全国に知られるようになりました。さらに言えば、その完成を祝う式典が行われる予定であった大正12年(1913年)9月1日、関東大震災で多くの建物が崩壊炎上する中で、旧帝国ホテルが焼け残ったことにより、大谷石の防火性とすぐれた品質があらためて見直されたのです。

 現在は愛知県犬山市の野外博物館「明治村」に当時の中央玄関部分が移築復元され、保存展示されています。私は明治村でその旧帝国ホテルの建造物を観察しましたが、注目すべきは大谷石がスクラッチ煉瓦及びテラコッタ(模様のついた粘土の素焼き)と見事に調和している点です。

日本の風土に溶け込む大谷石

 すなわち、大谷石は表面の温かみや柔らかさなど、他の石材では代替できない優れた質感を持っていますが、旧帝国ホテルのように他の素材とのコラボレーションで活きる点が素晴らしいと思います。

 日本では木造建築が多いのですが、この大谷石は他の素材との調和性を持つことから、宇都宮市内にも旧篠原家住宅の石蔵や東武鉄道南宇都宮駅舎などにも使われており、「和」の文化である日本にふさわしい素材だと思います。

 この日本遺産ストーリーからは、石工が掘り出した大谷石の巨大空間が大きくなればなるほど、石のまち宇都宮が豊かになっていった過程が実感でき、これからも宇都宮は餃子もさることながら、大谷石と共に生きていくように感じます。

大谷石が使われている南宇都宮駅舎
大谷石が使われている南宇都宮駅舎

※サムネイル画像:大谷石の蛙像(大谷景観公園)と筆者

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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