東京都西部の奥多摩地域は、良質な石灰岩を有する山々が多い。そのため、五日市線は、その石灰石を掘り出し、京浜工業地帯へ輸送するために作られた。そこに目を付けたのは浅野財閥だ。中央線の立川まで延伸し、自身が保有する南武鉄道(現在の南武線)を通り、川崎から輸出することを意図した。
また、大正時代までは、木炭産業も隆盛を極めた。そして、都心から50kmほど離れた場所でありながら、ここから檜原(ひのはら)を抜け、奥多摩湖までのルートは、大自然に触れる観光拠点となっている。
さて、ここは、平成の大合併まで五日市町として独立していた。しかし、隣接する秋川市と合併し、あきる野市と名乗ることとなった。あきる野の由来でもある阿伎留神社は平安時代の創建。今では東京の中心は、23区となっているが、多摩地区が古くからの都市であったことの証でもある。
この寿庵というお蕎麦屋さん、屋号は「寿美屋製麺店」と言う。既に創業150年である。また、「すみ」と名前からも木炭産業とのつながりを表している。大正時代に作られた建物は、当時を彷彿させる素晴らしいものだ。高層ビルは一つも建っていないが、ここも東京都。大いなる田舎も存在する大東京である。
(2020.10.11.撮影)
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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長