首都高速1号線は、北の上野線と南の羽田線に名前を分ける。これは、途中に都心環状線があるからだ。1969年に現在の台東区入谷まで開通し、羽田から上野までが全通した。
首都高速は、放射状に伸び利便性から郊外の高速道路に接続する。しかし、この上野線は入谷で高架が終わり、下を走る昭和通り(国道4号線)に吸収される。当初の計画では、そのまま北に延伸し、千住大橋を過ぎ、中央環状線につながるとされている。
さて、都心から真っすぐ伸びるこの高速は、昭和通りの上を走り、両側のビル群をすり抜け上野駅付近で大きくカーブを取る。既に本町付近で多方面に分かれているので、この辺りではほとんど渋滞することもない。そのため、下町っ子たちは、教習所での高速路上講習で、この付近を初めて乗ることが多い。また、終点下谷では、左折できない構造のため、そのことを熟知した運転手は、上野ランプで降りていく。
日が沈むと両側のビル群に光が灯る。すると、上野駅周辺の雑多な雰囲気が素敵な彩りに変わる。さほどクルマが通らない高速、中央環状線とつながると利便性は高まる。しかし、用地買収や高架工事も難しい。やはり、入谷から先は延伸しないのであろう。
(2019.08.06.撮影)
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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長