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「昭和喪失」 ~あと数年も経つと「遺産」となる~ そのような時代を迎える前に 第7章 東京都葛飾区立石~駅北口・再開発~

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第7章 東京都葛飾区立石~駅北口・再開発~

「カフェー」と呼ばれる遊興場

 終戦後、東京には15ほどの赤線が存在していた。そして、1958年に売春防止法が施行されると、一斉に廃業することになった。そう、ここ京成立石駅の北側の一角は、そのような場所であった。「合法の赤線」「非合法の青線」と区分けしているが、お店のことを、東京では「カフェー」大阪では「料亭」などと呼んでいた。

 立石は、戦争中に工場労働者の慰安所として始まった。そして、1945年に米兵向けの慰安所に発展した。米兵が居なくなった後は、「立石新地」と呼ばれた。

デパートが業態を変えて・・・

 一方、隣接する「呑んべ横丁」は、1954年に「立石デパート商会」として誕生。当初は、植木屋や洋品店が並ぶ場所だった。しかし、徐々にバーやスナックが増え、飲み屋街に変化していった。足を踏み入れると、木造2階建ての長屋が立ち並ぶ。細い路地の上にはバラックのようなアーケードが施された迷宮のような場所だ。

 お店には、トイレが完備されていない。そのため、一区画だけ、公衆便所のようになっている場所がある。今でも各地に、同じビルで営業する居酒屋が外に共同トイレを持つ姿が見受けられる。昔の名残なのかもしれない。

再開発で、区役所の庁舎がやってくる!

 この立石駅北口の再開発は、1997年に研究会が発足した。そして、2028年までに葛飾区役所が移転し、地上35階と13階の2棟のビルが建ち上がる。

 コロナ禍によって、再開発が遅れ気味となっていたが、2023年になって、一気に状況が進展する。

 この7月末、「呑んべ横丁」はすべてが営業を終了した。9月から全面解体が始まるという。また、旧・赤線地帯も徐々に営業を止め、既に更地となっているところの先には、駅舎も見えるようになった。早晩、すべてが更地になり、高層ビルの工事が始まるのだろう。

 なお、南口の仲見世商店街を中心とするエリアも再開発の対象となっている。少しばかり遅れるようであるが、こちらも夢幻と化す日は近い。

 下町を代表する「せんべろ」の飲み屋街、これも昭和喪失である。

寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨 代表

(立石駅北口の旧・赤線地帯、呑んべ横丁の画像は、次のページから)

撮影・取材 2023年7月31日

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