復調の兆しがみえはじめたインバウンド需要。地方自治体の観光課やDMO(観光地域づくり法人)では、改めてインバウンド戦略の練り直しに動いているところも多いことでしょう。しかし、ひとくちに訪日外国人観光客といっても、例えば「韓国の20代カップル」と「米国からの家族旅行客」では、日本の旅行に求める体験は全く異なります。そこでこの記事では、じゃらんリサーチセンターでインバウンドの研究を行っており、観光庁専門家派遣事業にも専門家として登録している著者が、インバウンドマーケティングにおけるターゲティングの重要性を解説します。
調査結果から見えてきた、全国の自治体・DMOのターゲット設定の実態
じゃらんリサーチセンターでは、インバウンドマーケットにおける市場(国)別の注力ターゲットの可視化を目指し、全国のDMO・自治体に対してアンケートを実施。その結果を2023年7月に公表しています。
https://www.recruit.co.jp/newsroom/pressrelease/assets/20230703_travel_01.pdf
注力市場のトップ3は、「現在注力している市場」・「今後注力したい市場」ともに「台湾」「米国」「豪州」。現在→今後の増加幅が最も大きいのは「中東地域」という結果でした。
また、注力している(したい)市場を選択した理由については、「自地域の観光資源と相性が良い市場だから」という回答がトップ(66.2%)。多くの地域が、自地域の特徴を踏まえながら注力市場を設定していることが分かります。
一方、注力市場からさらに詳細なターゲット像について調査したところ、「明確に決めていない」という回答も多数。同じ国からの訪日でも、初めてかリピートか、年代や年収帯といった属性によって求めるものは違うはずですから、それらを踏まえず漠然としたターゲット設定のまま戦略企画・推進している場合も多いという実態が浮かび上がってきました。
もちろん、「詳細にターゲット設定できるほどの情報がない」という意見もあるでしょう。国内旅行と異なり、対象は世界中に広がっているのがインバウンド特有の難しさ。自治体や事業者が単独で情報収集をしようとしても限界があり、なおさらターゲット設定を難しくしているのだと思います。
そこでぜひ参考にしていただきたいのが、観光庁・日本政府観光局(JNTO)が公開している「訪日マーケティング戦略」。JNTOの市場調査で得た定量データに、海外事務所や各部がこれまでのプロモーションで蓄積してきた定性的な知見を加えて、市場別の戦略・方針を示しています。ここでは、各市場で注力したいターゲットとそれぞれに訴求すべき観光コンテンツなども示されており、詳細なターゲット設定やそれに基づく戦略を策定するうえで役立つヒントが詰まっています。
実は、前述のじゃらんリサーチセンターの調査項目も、この観光庁・JNTOが提示する属性にあわせて設計したものです。国が示したデータを参考に自地域が狙うターゲット属性を明確にしておくと、同じ属性を狙う地域同士で広域の連携もしやすくなりますので、ぜひ活用してみてください。
参考:観光庁・日本政府観光局「訪日マーケティング戦略」
https://www.jnto.go.jp/projects/overseas-promotion/marketing-stratagy/
ターゲットが変われば、プロモーション戦略も大きく変わる
では、詳細なターゲット設定によってインバウンド戦略はどう変わるのでしょうか。今回は、私が所属するじゃらんリサーチセンターが、秋田県と取り組んできた欧米豪向けの戦略事例をご紹介します。
ターゲット設定の上でポイントとなったのは大きくふたつ。ひとつは、秋田の観光資源と相性が良いのは、歴史・文化的価値に興味関心がある層だったこと。もうひとつは、1人あたりの消費単価を上げたかったことです。総合的に勘案すると、1回の旅行で100万円程度を消費する「ミドル富裕層」に狙いを定め、県内の各地域が持つ魅力にあわせて「自然愛好タイプ」「趣味堪能タイプ」などの詳細なターゲットを設定していきました。
ターゲットを欧米豪のミドル富裕層と定めたことで、決まったことがあります。それは、各国の旅行会社への情報発信に重点を置くこと。欧米豪のミドル富裕層は、海外旅行をするときに、旅行会社・ツアーオペレーターにコーディネートしてもらうのが特徴的です。「お金はあるけど、自分たちで旅程を組むほどの時間的余裕はない」ので、信頼する旅行会社に相談し、おすすめを提案してもらう場合が多いのです。そのため、いかに旅行会社に秋田の魅力や詳細なコンテンツを理解してもらい、顧客に提案してもらえる状況をつくるかに注力することにしました。
そこで私たちが実施したのは、旅行会社に端的に魅力を伝えるためのツールづくり。エリアの特徴に加えて、どんなカスタマーのどんなニーズを満たせる地域なのかを紹介するマニュアルを作成したり、見どころをまとめた写真ライブラリを提供したりしながら、滞在先として王道の東京・京都に加えた第3の行先として提案してもらえる状態を目指しました。
ここまでしたのは、海外の旅行会社でもコロナ禍の人員削減が尾を引き、人手不足が続いていることも理由のひとつ。手間をかけてまでわざわざ秋田の情報を取りに行く余裕はないだろうと考え、彼らが手間なく提案できる状態をつくるという発想で取り組んでいます。
1日あたりの消費額20万円超のミドル富裕層を、地域に呼び込むことにも成功
また、ターゲット設定やコンテンツの企画段階から現地の旅行会社を巻き込んで意見を聞くことにもこだわりました。これはもちろん、今回のターゲットにリーチするための鍵を握るのが、旅行会社だったことも理由のひとつです。しかし最大の理由は、日本にいる私たちだけでは思い込みで進めてしまうリスクがあるからです。
よくあるモニターツアーやファムツアーで意見をもらうやり方だと、すでにコンテンツがほぼ出来上がった状態なので、大幅な修正が難しい場合が多いです。できるだけ早い段階で意見をもらいブラッシュアップしていくべく、現地のツアーオペレーターにインタビューを繰り返しながらコンテンツを造成していきました。
こうしたプロセスだからこそ、私たちが想定しなかった高付加価値ツアーも生まれました。例えばイギリスでは忠犬ハチ公をモデルにした映画の影響で、秋田犬が人気なのだそう。そうした事実を早い段階で教えてもらえたことから、秋田犬と巡るガイドツアーを企画。他にも、サステナブルな伝統文化を学ぶ樺細工体験、貸し切り列車での花見ツアーなども生まれています。
PRを開始したところ、複数の旅行会社が興味を示してくれ、「顧客提案前に一度体験してみたい」と視察希望の声が届きました。実際の提案も進んでおり、インバウンドの規制撤廃前から予約が入りましたし、1日あたりの消費額が20万円を超えるようなお客様にも来訪いただけた状況です。
このように、ターゲットを明確化するほど、コンテンツやPRの方向性がよりシャープになりますし、旅行会社との連携も取りやすくなります。JNTOや他の自治体、事業者など、周囲と協力・連携する意味でも自地域の戦略・方針を明確に示せることは大切。だからこそ、まずは自地域の戦略ターゲットについて見直すことから始めてみてください。
寄稿者 松本百加里(まつもと・ゆかり)じゃらんリサーチセンター研究員