2026年2月24日
午前、凍える渓流へ
朝の秋川渓谷。
冬型がゆるみ、どこか春の気配が混じる空気。
それでも渓流の水は、指先の感覚を奪う冷たさです。

「いた!」
淵の底に、ゆらゆらと動く複数の影。
ナガレタゴガエルのオスたちです。
しかし、こちらの気配に気づくと、
すっと落ち葉の隙間へ消えてしまいます。
「どこいったの?」
誰かが一歩水に入ると、
さざ波が広がり、底の世界は一瞬で見えなくなります。
「動かないで」
見えるかどうかは、こちらの姿勢次第。
渓流は、観察者の在り方を試しています。
ウェダーを履いた子どもたちが慎重に淵へ入ります。
網を差し入れます。
「あそこ!」「今だ!」
しかし――
一匹も捕まりません。
流れを読み、影に身を潜め、一瞬で消える。
自然の中で、私たちは決して強い存在ではありません。
その非力さを、身をもって知ります。
最後に偶然、周囲へ逃げた一匹が親御さんの網に入りました。

「入った!」
しかし、その一匹以上に価値があったのは、
捕まらなかった時間でした。
自然は、支配する対象ではありません。
読み、敬い、学ぶ対象です。
この瞬間、渓流は確かな教室になりました。
彼らが産卵のために集まった渓流の水温は5.6℃。
止水ではなく、流れのある渓流の水中に産卵します。
一見すると不利に思える環境ですが、
そこには合理的な設計があります。
繁殖期のオスの皮膚はヒダ状に発達しています。
これは体表面積を増大させて、皮膚呼吸の効率を高める方向に適応した形態変化だと考えられています。

冷たい流水は溶存酸素が高い環境です。
その環境を前提にした呼吸適応を、実際に観察することができました。
進化は理論だけではなく、現場で直接見ることができます。
渓流“水中”繁殖という空間戦略
ナガレタゴガエルの産卵場所は、岩の裏や隙間などの微小空間です。

流水環境は一見不安定に見えますが、
・溶存酸素が高い
・水が停滞せず水質が安定しやすい
・岩裏などを利用することで流速ストレスを回避できる
といった利点を利用しています。
さらに、寒い時期に繁殖することで捕食者の活動が抑えられます。
そして何より、流水は止水域に比べて水量変動の影響を受けにくい特性があります。
快適さよりも確実性を優先する。
最大制限要因を外さない設計です。
「流域を使う」という戦略
今回体感できたのは、ナガレタゴガエルが渓流内を連続的に利用しながら移動するという特性でした。
流れを“点”ではなく、“線”として使っています。
流域そのものが生活圏です。
しかしこの特性は、裏を返せば脆さでもあります。
堰や落差工、ダム、護岸工事などによって流れが分断されれば、
移動は阻害され、生存に影響を及ぼします。
ナガレタゴガエルは、
流域がつながっていることを前提に成立している種なのです。
午後、日だまりの止水域へ
午後はヤマアカガエルを観察しました。
ここで、驚くべき数字がありました。
秋川本流は8.5℃。
しかし南向きの左岸側、本流から切り離された“たまり”は日射で温められて、瞬間的に20℃近くまで上昇していました。

対して終日日の当たらない右岸側は7.5℃。
その差、12.5℃。
「同じ川なのに、なんでこんなに違うの?」
両生類の胚発生は水温に強く依存します。
数℃違えば、孵化までの日数が大きく変わります。
12.5℃差は、発生速度を大きく左右します。
ヤマアカガエルは、この暖かさを利用します。
黒い卵は光を吸収し、
発生を加速させます。
早く動き出す戦略です。
午前は“冬型”。
午後は“光利用型”。
同じ流域でも、まったく異なる設計が存在しています。
景観は、生態の結果です
秋川渓谷はとても美しい場所です。

しかし、その美しさは目に見える景色だけでできているわけではありません。
凍える水の中で繁殖する両生類。
落ち葉が分解され、水生生物の餌になる循環。
水質を支える微生物。
直接目にすることは少なくても、
こうした生きものたちもまた風土を構成する一員です。
景観とは、生態系の積み重ねの結果です。
流域を守ることは、観光資源を守ること
流域が分断されれば、
ナガレタゴガエルの移動は阻害されます。
水質が悪化すれば、
卵は成立しません。
生態系が崩れれば、
清流という観光資源もまた失われます。
流域を守ることは、観光資源を守ることと同じです。
美しい風景は偶然ではなく、
流域全体が健全に機能している結果です。
そして、未来へつなぐ
最後に、親子でリバークリーンを行いました。
小さな袋一つ分のゴミ。
しかし、それは流域を守る選択です。
観光で訪れるだけでなく、
ほんの少し支える側にまわること。
その積み重ねが、
この渓谷の持続可能性を高めます。
凍える渓流に産み落とされた白い卵は、
今日も静かに問いかけています。
あなたは、この風景を未来へつなぐために、何を優先しますか。

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