着陸態勢に入る航空機は、伊豆大島上空で左に旋回し、房総半島野島崎灯台を眼下に徐々に高度を下げていく。特に夕暮れ時は、オレンジ色に染まった海原の向こうに富士山のシルエットを見せる。
前職時代、何度となく赴いた房総半島南部の町並みを俯瞰するたびに、懐かしく思う場所である。
太平洋戦争末期、房総半島では・・・

太平洋戦争末期に、アメリカ軍の本土上陸を危惧した軍隊は、その交戦プランとして、仮想房総半島を作り上げた。それは、沖縄県南部、現在戦跡が多数存在する場所である。地図を見ると、房総半島と沖縄南部の形が似ていることがわかる。
館山にはかつての海軍基地(今は自衛隊の基地)は、そのまま残されている。そして、周辺には、赤山防空壕や飛行機を格納する掩体壕(えんたいごう)が残る。また、白浜と館山の間の山中には、カタパルトも残されている。房総半島からアメリカ軍が上陸することはなかった。
しかし、太平洋戦争の傷跡は、まだまだ全国各地に残っているのだ。

花の栽培が商売になる
房総半島は、1月になると、花が咲き誇る。今、その花を愛でる観光が脚光を浴びているのは、戦時中に禁を犯して、花を作り続けた農業従事者がいたからと言われている。
観光は、平和産業である。私たちが、美味に舌鼓を打ち、柔らかな湯に浸かるという非日常を体感できるのも、争いの無い世界だからだ。
まさしく、そう思わせる景色の一つが、西陽を浴びた南房総の姿である。

さて、クジラ漁で有名な旧和田町で間宮七郎平は1893(明治26)年に生まれた。24歳の時に薬剤師になるため、薬草研究や栽培をしているうちに鑑賞花の存在を知り、その需要があることに気付く。1920(大正9)年に故郷の花園の地で花作りを始めた。
平地の少ない和田町は、漁業と林業が主な産業であった。しかし、日照時間の長さと海に面して日当たりの良い段々畑は花作りに適していることに気付いた。他所より早く出荷できることは、商売として成功すると、七郎平は考えた。
当初は、「花が生活の糧になるのか」と嘲笑された。しかし、近くに住む川名リンが一緒に花作りを始める。2年後には花の出荷が成功する。小学校の先生の初任給が50円という時代、寒菊3円、キンセンカ5円であったという。翌年には、多くの村人たちが栽培を始め、関東大震災(1923年)の年に組合は設立された。その理由は、震災後に慰霊祭が数多く執り行われ、花の注文が増えたことである。
この年の栽培面積は22haにも膨らんだ。
隠れて育て続けた花卉栽培
1931(昭和6)年に日中戦争が始まる。「ぜいたくは敵だ」というスローガンのもと、日用品も制限され、火薬の原料となる海藻の採取や照明弾と灯りとしてウミホタルを採ることも命じられるようになる。
しかし、増大する葬儀のために花の需要は拡大する。そして、栽培面積は450haにまでなっていた。
また、戦況の悪化は食糧物資の不足を呼ぶ。食糧増産が最優先となり、花卉栽培を行う人々は「非国民」「国賊」とまで言われるようになり、監視・密告をする人々も増えていった。
そのため、七郎平はやむなく大切に育ててきた花々を抜き取ったという。また、リンは人目につかない山奥の杉林に球根を隠した。食べ物と偽って、鍋に種を隠した人もいたと言われる。

早春の観光コンテンツは平和の証
1945(昭和20)年8月15日、約15年に及んだ戦争は終わった。リンが隠した杉林には、その冬、一面にスイセンの花が咲いたという。栄養分が豊富な土壌によって、球根は生きを延ばしたのである。
そして、花を愛する人々は、戦後花作りを再び始める。
「花は食べることはできない。けれど、口で食べるものだけが食べものではない。心で食べるものがなくなったら、心は生きてゆけなくなってしまう」と、リンは常々話していた。リンの子どもたちは「花づくりは平和産業だ」と考え、花が作れなくなるような戦争が二度と起きないよう願いを込める。そのため、出荷用ダンボール箱には「花は心の食べ物です」と印刷されている。
語り継がれるこれらの話は、和田小学校の記念誌『間宮七郎平と和田の花』や田宮寅彦氏の小説『花』、映画『花物語』などに描かれている。また、郷土の音楽物語『花とふるさと』や合唱組曲『ウミホタル~コスモブルーは平和の色』も生まれている。
地元に人々は、これらを生きる力として、今もなお、花卉栽培を平和の証として、心の拠り所としている。
七郎平が開拓した場所は「抱湖園」と呼ばれ、市民の憩いの場・観光コンテンツとして人気となっている。また、近くには七郎平の功労碑も建てられている。

日帰りバスツアーも花盛り
アクアラインができ、サービスエリアの「ウミホタル」は房総半島観光の象徴だ。どん詰まりの国道も高速道路が完成し、日帰り観光圏へと変貌している。
バスツアーも早春になると満席になる。まさしく、平和ゆえに訪れることのできる場所だ。
南房総の景色は、いつも、そう思わせる「俯瞰するニッポン」の一つである。

寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨/代表
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=181