朝夕の微風に涼しさを感じ始めた。「温暖化だ」「酷暑だ」なんだと言っても季節はしっかり巡る。確かに平均気温は上昇してはいるが今のところ地球は生きている。
学生時代を福岡のど真ん中で過ごした4年間。既に半世紀も前のことになるが福岡出身のアーティスト「チューリップ」の「セプテンバー」という曲が好きだった。見よう見まねで覚えたアコースティックギターでこの曲を奏でるのが6畳一間の下宿での至福のひとときだった。
だから、9月は好きだ。学生時代の若き自分と同居しているような不思議な感覚が良い。
その頃から写真に興味はあった。ただ、カメラを買えるような経済的なゆとりは両親にも私にもなかった。そのため、その思いは長くそこで止まったままだった。そして、結婚してからCanonの「AE-1」を手に入れ、家族や子どもたちのスナップを撮る程度だった。
第4章 「地域情報発信」の必要性を痛感したこと
しかし、37歳の時に脱サラ独立開業して自分の事務所を持ったときから状況が変わった。「街づくり」の活動に参加することになったのだ。その環境下で「地域情報発信」の必要性を痛感したことから本格的に写真をやりたいと思い始めた。
私が目指してきたのは、育ててくれた我が町の素晴らしさを広くたくさんの方々に知ってもらうこと。そして、城下町大洲へお越しいただくことだ。これは今も変わらぬ撮影の主たる目的なのだ。
だから、どちらかと言えばデザイン制作編集という現職時代の仕事から、必要とされる場面の写真をどう撮影すれば良いかは、既にシャッターを切るときに想定していることが多い。
「仕事に使える写真」というのは、自らの世界観を表現する作品とは違う。
町を発信していくこと・・・
そこには地域の夢も乗せて。これが重要だ。求められている被写体の撮影をするために町並を歩く。路地を抜けて更に奥へと歩を進めていくと出会う古い銭湯があった。「吉野湯」だ。
私のサラリーマン時代はトヨタ系列のディーラーで新車販売を担当する営業マンだった。40年も前のことではある。その当時、新発売された「トヨタソアラ2800GT」を発売後一番で購入していただいたのが、この「吉野湯」の大将だった。
この写真は2016年の8月末に撮影しておいたもの。この看板も名物になっていた。古い町並みを歩いてご案内する際の目印にもなるので撮影しておいたが、これが最後になってしまった。
写真に地域の夢を乗せて
話を元に戻すが「地域を伝えるための撮影」とはどんな撮影か。
例えば、大洲城の写真で考えて見る。昔のことだ。復元した城だとは言え、元々は江戸時代初めに建てられた旧大洲藩加藤家のシンボルなのだ。江戸時代の城には顔がある。
「東の正面」がまず大切。日の出の方向へ向いているので、公式パンフレット用には必ず「東の正面」を撮影しておかなければならない。四季別に「日の出」「昼間」「夕暮れ」「星空」と撮影するとこれだけで4×4=16パターンになる。そして、これ以外に方角別に撮影するので、朝陽はないから4×3×3=36パターン。これで、合計52パターンになる。
情報素材としての価値を高めていくならば、こうした撮影を基本的にしておかなければ仕事にはならない。この積み重ねを現職時代から延々とやってきたことが、現在の城下町大洲を育ててくれた要因でもある。
来年には復元20周年を迎える大洲城。このことを考えると撮影内容も更にパージョンアップが求められる。私は一風変わった写真家だけど、撮影した写真に地域の夢を乗せて発信していくことがお世話になった地域へのご恩返しであり「あの時ボクが観た景色を百年先のみんなに伝えたい」と思っている。
この秋からソニーストア大阪のαギャラリーで始まる私の写真展のテーマでもある。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14
寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員