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船会社としての出発~そして、新たな航海へ~

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 2003年7月、米軍航空母艦「カールビンソン号」に関わる海上交通船業務を成功させたことにより、少しばかりの資金的な余裕ができました。その結果、埼玉県荒川を水域に活躍してた水上バス「クイーンメリッサ三号」を中古で購入。パーティーやウェディング、観光船として使えるように改造を加え「ジーフリート号」(名称の意味は「海の仲間」「船団」「軍団」)を就航させました。

 これにより、船員やスタッフを雇用する形を取ることになりました。まさしく、小さいながら船会社として第二の創業です。

偶然と必然が重なる、専用桟橋の取得へ

 本船は総トン数51トン、全長29m、144名乗り(90分未満)の平水限定型船舶になります。さすがに、この大きさですと、通常のマリーナには保管ができません。そのため、当初は、知人を頼っては何ヶ所か転々と係留場所を移動する、いわゆるジプシー船舶として、大変苦労したことを覚えています。

 そんな中、弊社社員が飛び込み営業で見つけてきた東品川にある結婚式場を運営する「チャペルブレスアスオール(BUA)」様とのお付き合いが始まります。そして、このことがきっかけとなり、現在の地に自社の桟橋を設置することができました。

ジール(専用桟橋)
ジール(専用桟橋)

 土地を所有される齋藤商店様のご理解もありました。また、ちょうど、このエリアが「運河ルネッサンス」という東京都が行なった水辺の規制緩和地区に指定されていました。そのため、運良く私設桟橋の設置に至ったのです。

 それまでは、あちらこちらを移動しながら何とか営業を続けてきました。しかし、専用の桟橋ができたことにより、腰を落ち着けて事業に専念できるようになりました。

好奇心から、目黒川お花見クルーズの開発へ

 その当時のパーティー船の需要は、夏場と忘年会の時期に集約されていました。そのため、厳冬期には仕事が少なかったと記憶しています。

 そして、3月初旬頃、社員と所有していた運河用の作業船「ゼンフリート号」を使って「冬桜を見ながら船上でバーベキューでもやろう」と船を出したのです。それは、目黒川を河口から少し上ったところ、荏原神社境内にある冬桜でお花見をしたのでした。

 その際、社員の誰かから「この先の目黒川ってどのくらいまで上っていけるのだろう!?」と言う声が上がりました。そして、急遽「折角だから、安全を確認しながら行かれるところまで行ってみよう!!!」ということになったのです。

 船には幸い接岸時に使う長い棒を乗せていました。そして、この棒を頼りに座礁を避けつつ、ゆっくりゆっくり俎上していきました。途中、岩やH鋼の突起物や捨て去られた自転車などが沢山。それを避けながらも、船は、大崎、五反田、目黒雅叙園前まで上ることができました。

 目を凝らすと、川の両岸はソメイヨシノや八重桜など、すごい数の桜が植樹してありました。また、双方から枝を伸ばす形で、桜のトンネルが形成されていました。

お客様が喜ぶ、「お花見の名所」の創造へ

 私は、「ここをお花見の時期に船で航行したら、お客様は相当に喜ぶことだろう」と、直ぐに想像(創造)しました。

目黒川を上るお花見クルーズ船、満員御礼!
目黒川を上るお花見クルーズ船、満員御礼!

 私どもが気付くまでは、目黒川に入っていく船は作業船くらいしかありませんでした。そのため、弊社が旅客船として初めて、目黒川を航行させることに成功したのだと思います。当初は、チラシを作って近隣の方にお声かけした程度でした。しかし、初年度からものすごい反響がありました。その結果、大人気クルーズ商品になる予感は的中し、今では、弊社だけでも2万人近いお客様がご利用いただく人気商品に成長いたしました。

 その後、目黒川のお花見クルーズは、他社の参入もあり、現在では20社以上の船舶が行き来する船で見る「お花見の名所」としてすっかりと有名になりました。

 毎年、何社かのメディアが取り上げてくださり、朝のニュースや中継なども入り、全国でも有名な桜の見どころとして定着しております。

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=18

寄稿者 平野拓身(ひらの・たくみ)㈱ジール代表取締役社長

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