「観光を学ぶ女子大生から見た日本の観光」
世界のリゾート「宮古島」研修に参加して
こんにちは。跡見学園女子大学観光コミュニティ学部で、観光政策や観光による地方創生を学んでいる、大学3年生の渡辺遥香です。
今回からは宮古島編として、篠原ゼミが秋にゼミ研修で訪れた宮古島での体験や学びを2回に渡り紹介していきます。ゼミ担当である篠原靖先生のご厚意により、毎年先生と関係が深いさまざまな地域に訪問させていただき、毎回テーマを決めながら、地域の観光の活性化について勉強しております。今年は、世界的なリゾートとして注目を集めている沖縄県宮古島を研修先とし、3泊4日で訪問しました。
まずは、訪問前の事前学習から見えて来た、学生から見た沖縄県宮古島の歴史と文化、そして急激な観光開発に揺れる現状について紹介します。

1、海の交差点として生きた琉球王国
事前学習を通してまず感じたのは、沖縄が「日本の南の島」ではなく、もともと“アジアの交差点”として栄えてきたということです。15世紀に尚巴志が三山を統一し、琉球王国が誕生。中国や東南アジア、日本との交易を通じて、海を介したネットワークを築いてきました。
沖縄の各地では、現在でも生まれた独特の文化、首里城の建築や紅型の染色、音楽、言葉にいたるまで、多様な文化の融合が見られます。
「外とつながりながら自分たちの文化を育ててきた」この柔軟さこそ、今の観光や地域づくりにも通じる部分だと感じました。外の価値を取り入れながら、地域の“らしさ”を磨いていく。その原点がすでに琉球の時代にあったのではないでしょうか。
A、出典 国営沖縄記念公園(フォトギャラリー | 在りし日の首里城 | 首里城 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城)

B、出典 JCCweb美術館(中山王 尚巴志 | JCCweb美術館)

C、出典 国営沖縄記念公園(フォトギャラリー | 在りし日の首里城 | 首里城 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城)

2、戦争の現実と平和への願い
次に印象に残ったのは、沖縄戦の現実です。県民の4人に1人が命を落とし、多くが民間人だったという事実に、改めて戦争の悲惨さを感じました。中でも「ひめゆり学徒隊」など、若い学生が看護や従軍に動員され、命を落とした話は、同じ若い世代として胸に刺さりました。
そして、戦後も沖縄はすぐに平和を取り戻せたわけではなく、27年間に渡りアメリカの統治下に置かれていたことを知りました。基地が残り続けた現実を思うと、沖縄の「戦後」は今も終わっていないのかもしれません。
観光地としての沖縄を語るとき、美しい海や温かい人柄に目を向けるだけでなく、その背景にある「痛み」と「祈り」を理解することが大切だと感じました。地域を訪れる立場として、ただ楽しむだけでなく、そこに込められた記憶を、未来へつなぐ気持ちを持ち続けたいです。

3、復帰後の歩みと宮古島のいま
1972年の本土復帰以降、沖縄は観光や文化を軸に発展してきましたが、基地問題や経済格差といった課題は今も残っています。復帰はゴールではなく、“新しい出発点”だったと感じます。
一方で、宮古島では自衛隊の配備や観光開発が進む中で、地域の人々の生活や価値観にも変化が生まれています。島の安全を守る視点と、自然・文化を守る視点、どちらも欠かせないテーマです。
そのような中でも、宮古島には人のあたたかさや共同体の力がしっかり残っています。世代を超えて行事や祈りを続ける姿勢は、観光の根底にある“地域の誇り”を実感させます。これからの地域づくりや観光を考える上で、こうした「人と文化のつながり」をどう未来へつないでいくかが大切だと考えます。

4、事前学習で学び、感じた「歴史」と「平和」
事前学習を通して、沖縄や宮古島は「観光地」である前に、「歴史を背負い、今を生きる場所」だと気付かされました。今後は、訪れる人が増えるほど、その土地の歴史や文化を理解しようとする姿勢が求められます。華やかなリゾートのイメージが強い宮古島ですが、そうした“学びの観光”が、これからの時代に大切になっていくのではないでしょうか。現地での体験を通して、沖縄の過去と未来、そして自分の中の「平和」についても、もう一度考えてみます。
5、次回について
次回は宮古島シリーズ第2弾として、実際に宮古島に訪れて感じたことなどについてレポートいたします。次回もお楽しみに!
寄稿者 渡辺遥香(わたなべ・はるか)跡見学園女子大学 観光コミュニティ学部 篠原ゼミ 3年