「シベリアから北海道」「朝鮮半島から対馬」「台湾から沖縄」の3ルートが日本人の祖先が来た道と考えられています。それを知ると、与那国島の西崎(いりざき)の海や対馬西岸の各展望台から対馬海峡西水道、稚内市の宗谷岬から宗谷海峡を眺めると潮の流れの速さに驚きます。
3万年前でしょうか、日本人の祖先は渡海しようとする試みを何度も拒まれ失敗し、この列島にたどり着いたのでしょう。ナショナルボーダー(国境)などない時代、日本人の祖先の前に立ちはだかる「壁」は川のように流れる海だったのだと、それぞれの地に立つと実感できます。
同時に、海の国境線の向こうの地との長い歴史や交流も感じることができます。それが、ボーダーツーリズムの魅力のひとつではないでしょうか。
さて東はどうでしょうか。ボーダーツーリズム(国境観光)をご紹介していながら、私は北方四島に行ったことがありません。根室や知床横断道路から遠く眺めた経験しかないのです。
従って、日本最東端のことは書けませんので、今日はオホーツク沿岸のことを書こうと思います。
第5章 オホーツク海沿岸
話は前職(全日空グループ)時代に遡ります。
全日空は1970年代後半から「歴史」をテーマとした文化事業を行っていました。それは、知的好奇心を旅の需要喚起につなげる先駆的な取組だったと思います。
最初のテーマは「邪馬台国」。1978年に博多全日空ホテルで開催されました。以降、大手新聞社との共催で「邪馬台国シンポジウム」として続きました。
邪馬台国はどこかにあったのか?古墳時代前期の三角緑神獣鏡の謎に迫る、など『魏志倭人伝』の解釈を中心とした内容は古代史ファンに支持され、故松本清張氏が司会を務めた1979年の東京開催時には500名以上の”古代史ファン”が集まりました。
その際に、私は担当者・添乗員で関わりましたが、実は邪馬台国には余り興味がありませんでした。しかしながら、申込者多数で抽選となった「歴史」の集客力の大きさは強く印象に残りました。その後、万葉集の旅、源氏物語の旅、安土城築城の秘密を探る旅など全日空歴史ツアーとして銘打って歴史をテーマとして地域の魅力を掘り下げる取組が続きました。
そして、1998年、北海道の歴史をテーマとした旅を創ろう!ということになりました。
東北海道の旅のテーマに歴史を
自然・景観・味覚・温泉など日本有数の観光素材を持つ北海道。しかしながら、幕末から明治にかけての函館以外では、季節を問わず旅のテーマとなりえる「歴史」はあまりありません。
そこで目を付けたのがオホーツク文化でした。
オホーツク文化とは、紀元7世紀から13世紀にかけてオホーツク海沿岸に存在した文化です。それは、流氷がもたらず豊かな恵みを糧とし、北東アジアや中国大陸とも交わっていた真に謎に満ちた文化。そして、オホーツク人は流氷とともに来て流氷とともに消えたと推測されます。牙製女性像やクマ像、青銅器の帯飾りを残し、アイヌの先祖とも言われていました。
なぜ消えたのか?どこへ消えたのか?
邪馬台国論争のようなブームになれば「古代史ファン」が東北海道に押し寄せるはずだ、との思いでした。
当時、網走市、常呂町が受入協議会まで作ってくれました。基調講演は2013年度の文化勲章受章者となり元号「令和」の考案者ともなる国文学者中西進氏。そして、北海道大学の研究者たちの協力も得て、1998年7月、網走市民会館で大がかりなシンポジウムを開催しました。
残念ながら集客としては「古代史ファン」が押し寄せることはありませんでした。しかし、「もう一つの古代文明-オホーツクの魅力と謎」と題した中西進氏を始めとする登壇者の講演は、好奇心を満足させるに足る素晴らしいものでした。
今こそプロダクトアウト的チャレンジを
オホーツク人は文字を持たず、住居跡、埋葬品や土器などの出土品の説明という考古学的な検証が難しく、そのため、『魏志倭人伝』『万葉集』『源氏物語』『信長公記』等の文学的な検証と比べて、いわゆる古代史ファンには受けなかったようです。
この話は25年も前の話です。今なら「発地型発想の失敗だ」とか「マーケティング不足だ」「プロダクトアウトの典型だ」とか言われそうです。しかし、「高・遠・長」のボーダーツーリズムに関わっていると当時の熱量を懐かしく思い出します。
コロナ禍から再スタートを切った観光産業ですが、がむしゃらでプロダクトアウト的な発想と着地側と発地側との共創的な挑戦が必要ではないかと思うのですが…。
オホーツク沿岸の紹介から少しはずれてしまいました。
流氷はボーダレス、文化や人が伝播する海の道
オホーツク人はどこから来たのか?アムール川でできた流氷を道として古代にはボーダレスな往来があったことは間違いないでしょう。網走のモヨロ貝塚にはまず上層部にアイヌ人の墓があり、その下にオホーツク人の墓があるそうです。そして、オホーツク人は北西に頭を置いて埋葬されている例が多いそうです。「オホーツク人にとって北西は父祖の地であり、神が来る方角だったかもしれない」と中西進氏は当時のレジュメに書いています。
ボーダーツーリズムは多様性を知る旅でもあるのです。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=17
寄稿者 伊豆芳人(いず・よしひと) ボーダーツーリズム推進協議会会長