現在、DPEショップチェーンやキャリアショップなどを手掛けるプラザクリエイト。同社は、コロナ禍を経て新たにグランピングに関する事業を始めた。同社の新谷隼人社長に、成り立ちが写真事業である同社が、なぜ新たにグランピング事業を始め、どのような事業展開を描くのかを尋ねた。
――プラザクリエイトについて。
1988年に写真事業からスタートした会社だ。約200店舗ある「PALETTE PLAZA」を軸に、写真や印刷物のほか、さまざまなサービスを提供している。創業者である大島康広は、もともと寺の家系だった。大島は、寺を継ぐという運命で生まれてきたが、運命にあながいカメラに没頭した。私は、大島になぜカメラに没頭したのかをよく尋ねるが、大島は自身に何か特筆すべき技術やアートと呼ばれる作品はないが、写真は自分が良いと思った一瞬や、笑顔などを作品として残せることに感動し、写真でビジネスをしたいという思いから会社を興したと話す。最近でも若い世代の間ではやっているが、創業当初は富士フイルムの「写ルンです」といったインスタントカメラがすごく売れた。われわれは、多くの人の思い出を切り取り、形に残す会社として成長してきた。
――会社の主な事業について。
当社グループは、「一枚の写真から」という原点を大切にし、デジタル技術の発展に伴っ て広がる写真と映像の世界で人々に感動を届け、楽しく美しい生活と社会の実現に貢献することを経営の基本理念としている。理念に基づき取り組む事業として、パレットプラザを基軸に写真や印刷物などのサービスを提供する「イメージング事業」、スマートフォンを通したライフスタイルを提案する「モバイル事業」、第3の柱の構築を目的に、理念に基づいたさまざまな新規事業を時代の変化などに沿って創造する「ソウゾウ事業」の3つを展開してきた。
――写真のプリントはスマートフォンの普及で需要が低下したと聞くが。
2000年代に入り一気に世の中のデジタル化が進む、更にスマートフォンの利用が増え、写真をプリントする人が徐々に減ってきた。印刷による保存は写真の価値を表すものだったが、デジタル化が進みことで、自身で取った画像や映像が無限に保存できるようになった。昔は、写真の撮影後にプリントすることは必然だったが、選択へと変わってしまった。デジタルの流れは毎年加速し、ここ10年ではプリントではなく、データをシェアするという流れへと移っている。
時代が携帯端末へと変わる中、われわれもスマートフォンの取り扱いを始めた。パレットプラザの店や立地を生かしながら、ソフトバンクの代理店として、今では約90店舗を運営している。モバイル事業は全体の約8割の売り上げを占めるまでになった。時代の流れと共に変化し続けてきたが、変化や多様性に強いことがプラザクリエイトの強み、歴史となっている。
――新谷社長がプラザクリエイトに参画したのは。
私が入ったのは約5年前のこと。パレットプラザやモバイルショップの今後を考えた時、現状のままでは大きな成長を続けていくことが困難だと感じた。プラザクリエイトのアイデンティティを大事にしながら、新規事業を手掛けていく時期となり、私はその役割を担いたいという思いを持って、当社に入社した。リクルートで新規事業を手掛けてきた私の経験と、レガシーでアナログな会社である、プラザクリエイトを掛け算することで生まれる可能性を想像するだけでワクワクした。
入社後は、DIYハンドメイド界隈で高い認知度を獲得した「つくるんです」をブランド化して販売を拡大するなど新規事業を着実に伸ばしてきた。また、全国で約2000台を設置していた証明写真ボックスの事業を別の方に譲るも、この事業のリソースを生かしながら、コロナ禍によるオンラインミーティングの需要を汲み取ったミーティングボックスを展開するなど、大きな事業転換も手掛けた。私は、プラザクリエイトの事業アセットをどうすれば今の時代に合った価値あるものになるかを常に考え続けていることは変化の起点になる。
――現在、観光業界をどう捉えているか。
インバウンドがおう盛であることを始め、チャンスが多い業界だと見ている。観光業界には、私が前に在籍したリクルート出身で活躍している人が多いなど、友人が多い。もちろん、コロナ禍など突発的な危機に弱いリスクがあるが、原状から見てもリスク以上に伸びるチャンスがある。観光は、政府が観光立国を掲げており、今や国の産業の中心に据えられている。海外を見渡しても、国を跨いだ往来が活発化しており、観光産業はコロナ禍前の水準に戻るどころか、大きく超えていこうとしている。国内では、2次交通やオーバーツーリズムを含めた課題はあるが、海外からの富裕層の獲得や、地方の魅力の掘り起こしなどに大きな伸び代を感じる。
――そのような中、新たにグランピング事業の展開を始めたが。
時代に合わせて変化しながら生き抜いてきた会社だが、新たに2022年10月からスタートしたグランピング事業も今の多様性ある時代から新たな考えのもと生まれたものだ。なぜ写真屋がグランピングを手掛けるのかとよく言われるが、写真屋は家族が記憶に残る瞬間を残し、思い出を作り続けられる機会を提供することが使命である。グランピング事業は、新たな思い出をつくる機会を提供できるのではと考え、着手した。。
――コロナ禍の影響が、新たな事業の機会となったのか。
メディアには取り上げられることは少なかったが、新型コロナウイルス感染症が発生した時には、タクシー業界、飲食業界、旅行業界の苦境と同じぐらい写真業界も大変だった。コロナ禍前と比べて取扱高が最大で60%ダウンとなるなど、コロナ禍後は危機的状況が続いた。これは、写真業界全体で、大手も中小も同様だ。コロナ禍で改めて気付かされたが、写真は晴れの日があって初めて生産されるものであり、今までは基本的には作られた思い出を持ってきてもらうという待ちの姿勢が続いていたということだ。われわれは、コロナ禍が続く中でただ待つという姿勢に疑問を持ち、思い出を作れる環境を何か提案できないかと、新たな事業への模索を始めた。
さまざまなことを考え、いろいろな選択肢がある中で、当時の時流もあったが、自然の中で密を避けながら、自由に家族で非日常体験ができるグランピングが最良解だった。パレットプラザとしても家族の思い出を増やせるきっかけになり、全国にある店舗からグランピング施設や全国のいろいろな場所の案内や送客ができると考えた。
最初は仮説を考えるだけでワクワクしたが、宿泊業の経験がない中でグランピング事業をいざ始めるとなると、土地探しからすごく苦労した。観光業界の知識も持ち合わせていなかったため、多くの人に意見をもらいながら、開業までは約2年の時間を要した。
――グランピングはまず、長野県で始めた。
パレットプラザは首都圏と関西に多く、場所選びでは東京から近い山梨や千葉といった近隣をまず候補に挙げた。だが、結果として2022年10月に人口が1万人にも満たない長野県飯島町で「THE GLAMPING PLAZA(グランピングプラザ)アルプスBASE」を開業した。これは、人の縁から生まれたものだ。町長から町の復活にかける思いを直接聞くほか、多くの地域の人たちとの出会いから、人と地域をつなげることへの可能性を感じて決断した。
地域にはお金をかけた観光資源や施設を作る必要はまったくない。来訪者におもてなしの心を持って地域の人が受け入れることが大切だ。訪れた人は、地域を愛する思いを持つ人たちから提供された地産地消の料理を食べ、その地域の取り組みを知ることで、地域への興味関心が高まり、新たなつながりが生まれる。ここに大きな可能性がある。今から軽井沢や熱海といったブランドや京都のような歴史を作ることはできない。だが、地域の人が来訪者に対して積極的に関わり、コミュニケーションを取ることで、「この町はいいな」「ここにまた来たいな」と思ってもらえるはずだ。
THE GLAMPING PLAZAアルプスBASEでは、地元の食材をぜいたくに使ったバーベキューディナーと朝食を売りにしている。また、滞在中は、アクティビティとしてレイクサイドで行う貸し切りテントサウナ体験のほか、SUP(スタンドアップパドル)、ニジマス釣り、マレットゴルフといった体験なども楽しめる。
――今年4月28日には、三重県に第2弾となるグランピング施設を設けた。
三重県志摩市の志摩国立公園内に「THE GLAMPING PLAZA 伊勢志摩BASE」を開業した。私は関西出身で、伊勢志摩には家族で伊勢神宮の参拝で何度も訪れたことがある。私自身が身近であったほか、観光客の多さや、今後のインバウンド需要の高まり、松坂牛をはじめとした地域の特産品など、魅力があふれる場所であること、そして地域の人とのつながりもあり決断した。運営は、長野でも同様だが、地元の良さを知る地元の人を雇用している。
――グランピング事業における課題は。
国内には、競合となる多くのグランピング施設があり、差別化が必要だ。施設ごとにターゲットを定めながら、そのターゲットにフォーカスした体験を増やしていかなければならない。ファミリーであれば、子どもが遊べ、大人が喜んで預けられるようなワークショップを開くなど、ソフト、ハードともに強化していく。地域には、まだ知られていないおもしろいコンテンツが多数埋もれている。写真屋が新たにプロデュースする地域につながりを生むグランピング施設として、地域を回遊させる仕組みも作りながら、地域と共に成長していきたい。
――グランピング事業の今後の展開について。
グランピングプラザの取り組みは、地域の課題解決にもつながるものだ。まず、このグランピングプラザをブランド化、パッケージ商品化した上で、フランチャイズ展開を始めたいという構想もある。
われわれが伸びてきた根幹に、パレットプラザのフランチャイズ展開がある。このモデルはさまざまな業種業態に展開できるものだ。また、このフランチャイズのノウハウは多くの他社が持ち合わせていないものでもある。グランピング事業においても、フランチャイズに参画する人たちが、各地域でわれわれが提供するパッケージ商品を使うとともに、全国のパレットプラザなどから送客を受けることになる。パレットプラザやグランピングプラザを起点にした多くの思い出づくり、ネットワークづくりを実現する。
――行政との連携は。
ありがたいことに、多くの地域から注目されている。首長や行政の幹部と話をする機会も多いが、大事なことは、地域の人たちのやる気だ。ただ受け入れるだけでなく、来訪者とコミュニケーションを取りながら、地域の良さを伝えること人がいなければ、成功にはつながらない。また、集客について不安を持つ方々もいるが、われわれには店舗などネットワークがある。地域に合った集客方法は共に考えていきたい。
――中長期の展望は。
決算説明会でも発表しているが、少なくとも10年以内にはグランピングプラザというブランドを掲げてオープンしている施設を100カ所ぐらいまで拡大したい。そのために、まずは現在運営している2施設に集中して、収益性などを確立させていく。
※新谷隼人(しんたに・はやと)=パレットプラザ1号店が誕生した1986年、大阪で生まれる。広告代理店を経て、リクルートに転職し、3年連続でMVPを獲得。リテール新規開発グループやカスタマーサクセス領域にてマネージャーとして活躍する。2019年にプラザクリエイトへ入社し、組織初となる法人営業部の立ち上げをけん引。また、DIYキットブランド「つくるんです®」の出荷数を3年間で約4倍に拡大、コロナ禍で需要が増した個室ブース「One-Bo」をリリースするなど、プラザクリエイトの次世代を担う新規事業創出をリードしてきた。取締役を経て、2022年から36歳にして株式会社プラザクリエイトの2代目社長に就任。
聞き手 ツーリズムメディアサービス編集部 長木利通