路面電車が縦横無尽に走り、プロ野球の球団を持つ福岡は憧れのまちであった。都城暮らしの私にとって、母方の親戚が暮らす博多への盆・正月の帰省は、都会に向かって「上る」旅だ。
その途中に、父方の実家、熊本・宇土がある。熊本も路面電車があり、鶴屋・大洋の二大デパートを持つ、魅力的な都会だった。
帰省の旅、急行えびの号の一端はすでに紹介したとおりである(ボーダーフル・ジャパン第3回 「吉松・熊本へのゲートウェイ」)。
鉄道ビデオや記録の多くは、ほとんどが大都会からの「下り」旅だ。私は肥薩線や「えびの号」のDVDをもっている。しかし、「上り」の風景があまり見られないのを残念に思っている。
肥薩線「真幸駅」
さて、鹿児島県の吉松駅から進行方向を変え肥薩線に乗り入れた、「えびの号(気動車)」上りは、再び宮崎県に戻り、真幸駅に到着。その駅のホームには砂利が敷かれ、波が描かれている。当時は気が付かなかったが、「幸せの鐘」なるものも設置されている。
列車はここから再び進行方向を変える。そうスイッチバックだ。斜面を上がると再び停車。運転手が車内を前から後ろ、後ろから前といったりきたり。
もう一度進行を変えた(つまり、元の方向に進む)列車の車窓からはるか下に駅のホームが見える。
「日本三大車窓」の大パノラマ
その後、列車は勾配をあがり、「日本三大車窓」といわれる、加久藤越しに霧島連山とえびの高原を眺望する大パノラマが広がる。えびの号のときはなかったが、観光列車「いさぶろう・しんぺい号」はここでサービス停車していた。
難工事で知られる矢岳トンネル(2000メートル)をくぐると、熊本県の矢岳駅だ。急行「えびの号」はしばしばこの駅を素通りしていた。だが、観光列車は必ず10分程度は停車する。
肥薩線でかつて使われていたD51が展示されているからだ。
ループ線「大畑駅」
列車はここから山を下り、ループ線に入る。乗っていると廻っている実感があまりないが、星空が見える夜はこれを実感する。
列車が止まった。が、駅がない。びっくりしていると、またバック。そう、スイッチバックですべりこむのが大畑(おこば)駅。
SL時代の名残りの給水塔や煤を落とす湧水盆もある。お盆の帰省でSLに乗っていたころの記憶だが、肥薩線のトンネルに入るたび、煤が入らないように日よけを下ろしていた。暑くて窓は閉められないから、みな真っ黒になっていた。
気動車になって矢岳越えもずいぶん楽になったのだろう。
自然災害が鉄道路線に与える影響
観光列車が人気だったころ、大畑の駅舎にはフレンチのレストランがあった。いまは閉業。
2023年10月には、「いさぶろう・しんぺい号」のラストラン。真幸駅舎で物品販売をしていた友の会も12月で20年に及ぶ活動を終了。人吉の被災で肥薩線が不通となったことが地域に影響を与えている。
肥薩線の壊滅的な被害はもっぱら川線(八代・人吉間)だから、なぜ復旧可能な山線(人吉・吉松間)も動かないのか、素人にはまったくわからない。採算がとれない、あるいは、八代から真幸までが熊本支社の管轄だといった理由もあろうが、要はJR九州にはやる気がない。
「いさぶろう・しんぺい号」と接続していた、吉松駅から鹿児島中央駅までの観光特急「はやとの風」は2022年3月に運行を終了している。
明るい話題と隠れた名所
2025(令和7)年度に人吉から湯前までくま川鉄道が全線復旧するという(現在は人吉温泉駅~肥後西村駅区間は代替バス)。鹿児島中央駅から吉松駅経由で人吉駅まで観光列車が復活し、そこからくま川鉄道へと向かうルートの再生を願っている(もちろん、川線の再建設も)。
ところで私は若いころ、矢岳駅で降りるのがとても好きだった。
そこから40分ほど丘をのぼると、三大車窓に負けないパノラマが見える場所がある。
再訪できるのはいつになるのだろうか。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=20
寄稿者 岩下明裕(いわした・あきひろ) 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授