水月ホテル鴎外荘は、約130年の歴史を誇る東京の下町の老舗旅館だった。また、そこは森鴎外が最初に結婚された赤松家の長女登志子さんと一緒に暮らした場所。そして、ここで「舞姫」が執筆された。
旅館の中庭に明治期の日本家屋が残っている。舞姫を執筆した旧邸は、「舞姫の間」「蔵の間」など、昭和・平成・令和の時代をタイムリープしたかのような佇まい。まさしく、東京から江戸へ誘う場所でもある。
そのような名残惜しい場所「いにしえ江戸の鎮めの地」と言われる上野。
また、ひとつ、その歴史が消え去った。鴎外荘が歩みを止めたのは、2021年10月15日のことである。
コロナ禍のさなか、苦渋の決断であったと言う。
鴎外ファンがより集う至福の空間
その始めは、水月旅館と称し、上野駅に近いロケーションは、数多くのお客様を受け入れてきた。
そして、戦後1946年、売りに出されていた隣の邸宅を創業者が買い求め、大切に守ってきた。
鴎外が暮らした旧宅は、お泊りいただくお客様の憩いの場所として、和楽器の演奏などのイベントも催された。まさしく、鴎外ファンにとっては、この邸宅で食事を摂ることができるという至福の空間であった。
また、都内で初めて、天然温泉の大浴場も設えた。地下深くから湧き出す温泉は、黒々とした重炭酸泉であった。
目を外に向けると、通りの向かいは上野動物園。そして、不忍池へと続いている。かつて、不忍通りから上野広小路まで、ホテルの前にはチンチン電車が走っていた。広小路に向かって、緩やかなカーブを描く道路に線路が敷かれていた。
今でも、不忍通りに出る手前の小さな公園に電車が保存されている。それが往時の名残である。
鴎外ゆかりの地への移築
閉館から一年の年月が経った。そして、旧鴎外荘は近くの根津神社に移築することが決まった。
ここは、登志子と離婚した後に暮らした「千朶山房(せんださんぼう)」や「観潮楼(かんちょうろう)」のあったゆかりの地である。
その移築経緯は、鴎外荘の経営者が根津神社の宮司と旧知の間柄であったこと。また、宮司が氏子であった森鴎外との深い縁を感じ、総代会で賛成を取り付けたとのことが移築を推し進めた。
そして、境内には、鴎外が奉納したという水屋もある。まだまだ現役である。
移築場所は、境内の池のほとりになるという。既に整地が進んでいるが、復元整備費用の資金の見通しがついた時点で再建される予定である。掲示板には、2025年秋ごろと記されていた。
新たな移築、希望はつながれた!
再建されれば、根津神社に新しい史跡が誕生する。
春の躑躅、秋の紅葉、そして、冬には銀杏の葉が一面に敷き詰められる古社。また、朝早くにはラジオ体操も行なわれる地元密着の神社である。
池之端から町歩きの聖地「谷根千」へ。鴎外ファンの方々も数多く訪れてくれることであろう。一日も早い再建を望んでやまない。
取材・撮影 2021年10月6日
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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長