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平成芭蕉の「令和の旅指南」⑫ 伊賀・甲賀のリアル忍者は精神的な強者

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伊賀忍者のルーツ「黒田荘の悪党」と甲賀忍者

 忍術を使う人を忍者と呼びますが、忍者の起源には多くの説があり、一説には聖徳太子に仕えた大伴細人(ほそひと)という人物が、その働きから最初の忍者「志能備(しのび)」であると言われています。しかし、一般的には、鎌倉時代に荘園の中で発生した「黒田の悪党」と呼ばれた「惣」に起源を求めるのが現実的です。

 私は俳聖松尾芭蕉の生家の向かいの三重県伊賀市上野の生まれですが、父方の実家は隣町の名張市黒田荘で、伊賀流忍者のルーツ「黒田荘の悪党」の血を引いており、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀~リアル忍者を求めて~」にはとても関心があります。

 なぜなら、私の祖先は東大寺に反抗し、「悪党」(強者の意)と呼ばれるも、お互いに連携し、地域の平和を守り抜いた強者「リアル忍者」だったからです。

 忍者と言えば伊賀と甲賀が代表ですが、「伊賀忍者」は現在の三重県伊賀市と名張市に拠点があった忍者の流派で「甲賀忍者」は現在の滋賀県甲賀(こうか)市と湖南市に拠点があった忍者の流派です。

 今日、「忍者Ninja」はメディアを通じて世界中の人々に知られていますが、その本当の姿はあまり知られていません。しかし、17世紀にはイエズス会編纂の『日葡辞書』にXinobi(しのび)の記載があり、「戦争の際、状況を探るために、夜またはこっそりと隠れて城内によじ登ったり、陣営内に入ったりする間諜」として紹介されています。

忍びの里-伊賀・甲賀
忍びの里-伊賀・甲賀

伊賀衆の軍議が行われた上野城と忍町

 私は日本遺産のリアル忍者ストーリーを体感すべく、伊賀流忍者博物館、伊賀衆の軍議が行われた上野城(平楽寺跡)、そして伊賀者の屋敷のあった忍町(しのびちょう)の赤井家住宅付近を散策しながら、忍者の真の姿に迫ってみました。

 上野城は筒井時代には大坂城を守る出城としての機能を持った城であったのに対して、藤堂時代は大坂城を攻めるための城というまったく正反対の立場をとった城で、城内には藤堂高虎の高さ約30mの石垣が残っています。

 今日の上野城天守台にある3層3階の天守閣は、昭和初期に地元の名士、川崎克氏が私財を投じて再建した純木造の模擬天守で、「攻防作戦の城は亡ふる時あるも、産業の城は人類生活のあらん限り不滅である」との理念から「伊賀文化産業城」と命名されています。

 平楽寺は現在の上野公園にあった寺院で、城の機能も兼ね備え、織田信長の侵攻時には伊賀衆が結集して軍議が行われた場で、今も多くの五輪塔や石仏が残っています。

 また、忍町は伊賀上野城の城下町である三筋町南一帯に広がる武家屋敷地で、江戸時代には藤堂藩の伊賀者屋敷があり、今に残る赤井家住宅は中之立町通りの西側に位置しています。赤井氏は丹波国黒井(兵庫県丹波市)の城主でしたが、京都に蟄居していた際、藤堂高虎に千石の禄高で召し抱えられて足軽大将に任じられ、この地に居を構えました。

伊賀上野城(平楽寺跡)
伊賀上野城(平楽寺跡)

なぜ伊賀・甲賀の地に忍者が生まれたか?

 なぜこの地に忍者が生まれたかと言えば、まず、都のあった京都・奈良に近く、軍事的要衝であったことが挙げられます。そして、300万年前の古琵琶湖層という複雑な地形から、守りやすく、攻め難かったため、大きな権力が生まれませんでした。そこで小領主が地侍として「伊賀惣国一揆」「甲賀郡中惣」といった自治組織を創り、地侍どうしが結束して「掟」を作成、諸事談合して物事を決定していたのです。

 また、この地に忍術が発生した理由としては、良材を産する東大寺の杣(そま)山や、飯道山・岩尾山・庚申山といった宗教的な霊山があり、さらに甲賀では天台密教の拠点であったことも影響し、薬学や卜占に通じた山伏がこれらの山々の行場で修練を積んで忍術が生まれたと考えられます。

 なお、伊賀忍者は手力神社に花火を奉納した藤林長門守の火薬で有名ですが、甲賀忍者は医療や薬に精通しており、普段の生活ではお守りや薬を売り歩くことで諜報活動を行っていました。

 この売薬業は飯道山の山伏が諸国に配札に訪れた際の土産が起源とされ、「甲賀市くすり学習館」には「飢渇丸(きかつがん)」や「兵糧丸」、薬草に関する資料などが展示されています。

伊賀流忍者博物館
伊賀流忍者博物館

リアル忍者Real Ninjaとは「刃(やいば)の心」を持つ精神的強者

 一般的に伊賀忍者と甲賀忍者は対立関係にあったと考えている人が多いようですが、これは甲賀忍者が秀吉に仕えていた時代、家康を監視する任務を与えられていたため、家康配下の伊賀忍者と敵対したからです。

 その影響もあって、甲賀忍者は江戸時代になると不遇な扱いを受けるようになり、武士身分を獲得する嘆願を行ったりしましたが、認められることはありませんでした。そのため、幕末になると新政府軍に加わり、戊辰戦争における庄内藩との戦いなどで戦果をあげています。このように、忍者は「時代の流れ」を読んで生き抜いたしぶとい集団でした。

 しかし、私は親から「忍びの心」とは「やましい心を刃(やいば)で断ち切って生きる心」と教わって育ったので、忍術秘伝書『萬川集海』にある「正心」こそがリアル忍者の神髄だと考えます。すなわち、リアル忍者とは、「自分の良心で判断して正しいと思ったことを行え」と説く神道の基本的な教えに通じた「刃の心」を持つ精神的強者なのです。

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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