半年の間に訪れたふたりの黄昏
黄昏の風景に見る、炭坑で生まれ育った二人の歩み、半年前、68歳という年齢で愛する妻を、そして今月、90歳という長い人生を歩んだ母を看取りました。
妻は長崎・軍艦島の端島で生まれ、母は筑豊炭坑で生まれ育ちました。私は12歳の頃、一家で軍艦島に移住し、閉山までその地で暮らしました。
その後、さまざまな地域で生活した後、北九州市に居を移し、母親は71歳の父を看取りました。妻もまた、95歳の母を介護しながら、壮大な人生の旅路を見送りました。
10年前に筑豊にある石炭資料館で、母が私に漏らした一言が今でも忘れられません。
「炭坑の生活が一番良かった」と・・・。
今月、その母も90歳という生涯を終えました。
炭坑が生んだふたりの黄昏
炭坑で生まれ育った妻と母にとって、黄昏とはどのような風景だったのでしょうか。
「遠い遠い未来。けれど、浄土は更に遠く、滅びは遥かに近い黄昏の時代。楽園は潰え、地には無人機械が蠢く末法の世。それでも、人は生きている。」
忘却の時間はそれぞれに流れ、立ち止まっては明日の風景さえ見えずにいる。あがきながら力を得たいときに、いとおしく抱き締めたい風景は、ふるさとの記憶なのかもしれない。
静寂の中で、大切な思い出と向き合う
寂しさや悲しみがほんの数ヶ月という短い間に、怒涛のように押し寄せてきました。立ち直れないほどの深い悲しみと共に、人生の問いかけに答えを探すことなく、ただ静かに一点を見つめながら、しばし腰をおろします。故郷の静寂の音を聞きながら、大切な人の思い出を想い想いに馳せて、軍艦島の黄昏風景を見つめる。
寄稿文章への想い
この文章は、炭坑で生まれ育った妻と母が辿った半年の黄昏と、その歩みを通して感じた思いを寄稿しました。軍艦島の黄昏風景と、そこで過ごした思い出が、二人の人生の重なりとして心に深く刻まれています。
これまでの寄稿は、こちらから
(https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=21)
寄稿者 坂本道徳(さかもと・どうとく) NPO法人 軍艦島を世界遺産にする会 理事長