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ユーミン✕苗場 半世紀続く、その秘密

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1981年・大学4年生 ~キャピタルヴィレッジの誕生

 僕が大学生であった1970年代後半は、学生の持つパワーがどれだけ社会で通用するか、「学生起業」が一つのブームであったと思います。入学して、夏休み前になると学園祭を作り上げることを使命と感じ、実行委員会メンバーとして活動すると同時に、プロデュース研究会なる組織を設立しました。任意サークルではなく、学校からも認知された組織でしたが、設立当初は、部員も集まらず、積極的な活動ができたわけではありません。しかし、学園祭に五輪真弓さんとラリー・カールトンさんをお呼びし、成功裏に収めたことから、世の中が一転しました。

 自らが操配してコンサートを作り上げることは、当時の大学生にとって、ある種のステイタスでした。コンサートだけではありませんが、成功させることによって、業界からも評価されます。携帯電話やSNSなど、なかった時代ですが、大学生間の口コミやアーティストの方々からの声が評価の基準であったかもしれません。僕たちは、プロが作り上げるコンサートではなく、学生目線で作るコンサートを作ることを目指し、例えば、演歌とフォーク、ニューミュージックがジョイントするというこれまで考えられなかったコンサートを作り、好評を得たことが認められたのかもしれません。

 大学3年生になるとプロデュース研究会は、100名以上の部員が集まる巨大な組織になりました。そして、幹事長を引退することとなります。「明治に荒木あり」と自分で言うのもなんですが、関西の大学をはじめ、全国の大学から「一緒のやらない」との声をもらうようにもなりました。アナログの時代は、今以上に学生間の交流が盛んであったと感じます。就職するといったことが眼前に迫ってきた時、どこかの組織に属して働くより、自らが立ち上げた企業で「音楽を生業」にしていくことを目指したわけです。

 https://www.capital-village.co.jp/

苗場・今年で43回目! ~ユーミンとの出会い

 話しは前後しますが、弊社はユーミンの苗場ツアーを第1回目からプロデュースしています。嘘のようなホントの話ですが、1981年1月、大学3年生の時に「今度、苗場でコンサートをやるんだけど、荒木君にお願いしたいんだけど」とユーミンの事務所から電話があったのです。コンサートは3月11日・12日の両日、準備時間は二か月しかなく、キャピタルヴィレッジを起業する後押しになったもの、苗場があったからと言えます。

 1976年に結婚したユーミンは「時代は大学生が作る」と、「夏はビーチリゾート」「冬はスノーリゾート」と若者のレジャーに寄り添ったコンサートツアーを模索していました。1980年12月に発売されたアルバム「SURF&SNOW」は、そのバイブルと言われ大ヒットしました。

 既にサマーリゾートコンサートは、葉山にて開催されていましたが、スノーリゾートを舞台にコンサートが開催された事例はありませんでした。それまでのスキーは、宿泊する旅館や民宿、ホテルからスキー板を担いでゲレンデに出るというものでしたが、苗場は泊まる部屋で着替えて、目の前のゲレンデに出ていくという当時としては画期的な場所でした。そして、スキーを滑り終えたアフターイベントとして、その日の終わりにコンサートを行ないます。21時半開演というレートショーも、今までにない試みでした。

スペシャルグッツも人気!

 1981年3月に第1回のユーミン苗場は始まります。スキー場の中のワールドカップレストランという選手が食事をとるレストランで開催されたのです。12回目からは専用会場である「ブリザーディウム」が完成し、2023年2月、今年で43回連続開催されている単独コンサート、日本国内で最長記録を更新中です。ファンのみなさんは御存じのことと思いますが、収容1,300人程度の小規模な会場で、ライブハウス的な雰囲気の中で行うコンサートで、ファンが直接ユーミンにリクエスト曲を告げて演奏してもらうリクエストコーナーが現在でも存続するなど、ファンの方々にとって、苗場は、必ず行きたい「聖地」となっています。

 初期の苗場ツアーは、チケット自体が前売りされることはなく、スキーに訪れたお客様が、たまたま「ユーミンのコンサートがある」という感じで、当日購入されるというパターンがほとんどでした。首都圏からのバスツアーも、1台がやっと運行されるといったものでした。しかし、回を重ねるにつれて、「聖地」苗場が認知されてくると、前売り数も伸び、「ブリザーディウム」での開催に変わると、きちんと旅行会社をが介在させる必要が出てきたのです。国土計画系列の旅行会社にもお世話になっていましたが、お客様の一連の工程管理には、自前で操配することが一番でありました。「旅行会社を作ろう!」、社員がライセンスを取ると手を挙げてくれる。コンサートツアーも一気に集客拡大することができました。1993年頃の話です。

音楽✕旅行 ~珠玉の宝物

 音楽と旅行は、ある種、親和性があります。

 コンサートツアーを一から作り上げることと、旅を彩るさまざまなパーツを積み上げていくことは、同じベクトルだと思います。音楽コンサートは、その両者が一体となったものだと言えます。一人でも多くのお客様に「幸せ」のお裾分けをしていく。音楽も旅行も、感動という幸せをお裾分けしているのです。

 これまで、弊社も大きな波に飲まれる出来事がたくさんありました。昭和天皇の御崩御の時、2011年の東日本大震災や2020年のコロナ禍など、自粛ムードこそ、大きなうねりでした。また、1998年頃、LPやカセット、CDなどの音楽パッケージ商品の発売額は、約6,000億円と言われていました。しかし、今では有料配信を含めても約3,000億円となっています。音楽が一つのステイタスと感じていた時代からレジャー自体が多岐に渡るものとなりました。ゲームであったり、食であったり、人それぞれ、趣味が多彩になり、複合的になってきました。

 しかしながら、東日本大震災の後に「音楽で勇気を!」とアーティストたちが、被災地で無償コンサートを行なったり、弊社でも、2020年4月にコミュニティFMの生放送で「エールコンサート」と称して、ライブを行なった事例もあります。「こんな時に」といったネガティブな意見もありましたが、音楽は「元気」「勇気」をもらうことができる、無限大のアイテムだと思い、実現してきました。今でもそのことは、間違いではなかったと思っています。

 2000年代に入り、収容人員が大きな建物も増え、アリーナコンサートやフェスも花盛りです。コンサートという夢は、まだまだ広がっていくと確信しています。これからも、そんな夢を作っていきたいと思います。

(次回は、東日本大震災復興支援「音楽(おと)のある東北」シリーズのお話しをしたいと思います)

寄稿者 荒木伸泰(あらき・のぶやす) 株式会社キャピタルヴィレッジ 代表取締役

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