私は建築家として、建築物のデザイン等の「設計」と、その建築物が図面とおり施工されているかを確認する「監理」を行っています。建築業界では、この2つの業務のことを「設計監理」といい、建築士(一級建築士など)の独占業務[01]になります。この業務を長年行ってきた経験などから基づく、私自身の観光業に必要とされる宿泊施設(建築物)についての自論を、簡単にですが寄稿文として書きたいと思います。
建築物の建設費高騰
昨年の4月以降、日本中で建築物の建設費が高騰(3、4割以上)しています。理由はさまざまありますが、以下3点が主な要因として上げることができます。
① ロシアがウクライナに侵攻したことを背景とする、建築資材等の供給不安
② コロナ禍の終息を見越した経済活動の再開による、建築物の着工数の増加
③ 日本国内における建設工事に従事する職人等の高齢化を背景とする、人材の確保
さらに今年度より、国民の所得適正化を目指した流れに伴い、資材費や人件費の上昇も重なり、建設費は今以上に高騰していくと思われます。また、既に着工し竣工を終えた建築物においては、予定を大きく下回る利益(場合によっては赤字)になる事例が増加しています。
私の意見(建築家)としては、今の日本における施工体系(元請と下請との関係性、関わる人材の多さなど)と施工方法(建築のつくり方、検査種類の多忙さなど)を鑑みると、今までが相当な安価であって、建設費の高騰は本来の適正価格に近づいているともいえます。しかし、社会全体で考えた場合、建設費が急に3、4割上昇することを受け入れるのは容易ではなく、最近では公共建築工事[02] でも、入札参加業者がいないということも珍しくない状態になっています。
宿泊費と建設費
建設費が高騰すると宿泊施設のサービスレベルに関わらず、その宿泊施設の宿泊費は上げざるを得えません。もちろん、宿泊費を上げても十分に利用者がいる(=稼働率が高い)状態で、何年も同レベルの稼働率が継続すれば問題ありませんが、実際は稼働率を高く保つことはかなり難しいことです。また、近隣などに同じような宿泊施設が新たに竣工した場合、多くは競合となるため、従来からある宿泊施設は宿泊費を下げることになります。そのサイクルは加速し、多くの宿泊施設では宿泊費をかなりの額で下げることになり、結果として多くの宿泊施設は廃業していくことになります。一方で、宿泊費を最安値にしている宿泊施設もあり、それはその宿泊施設の生き残る戦略として有効であることになりますが、大半の宿泊施設は生き残ることは困難になります。
では、この高騰する建設費に見合う宿泊費を、どのようにしたら維持することができるかを、多くの人は考えています。
宿泊施設の「特異性」を見出す
私は宿泊費を維持するためには、その宿泊施設の独自の「特異性」を見出し、その「特異性」を強みにしていくことが必要だと考えています。具体的には、私が設計監理を行っている物件を事例にして「特異性」を説明したいと思います。
その物件は鹿児島県奄美大島に位置し、全客室の窓からシームレスにつながった海岸を望むことができる宿泊施設です。敷地は遠浅の海岸に面し、その海岸を囲むように3方の山々が接していており、また高低差がある地形をしています。各客室はその地形の高低差を利用して段差を形成し、この段差と外壁によって、互いの客室間の存在を感じさせない空間を成立させています。また段差と壁によって、その客室の利用者以外の視線を生じることがない状況をつくり出し、完全なプライベート空間にすることで、奄美大島の大自然がダイレクトに感じられるように計画されています。更にこの宿泊施設は、全客室ペット(犬に限定)と一緒に泊まれる部屋とし、必要な設備と環境が整備されることで、ペット同伴の利用者に限定するようにしています。
以上のように、この宿泊施設の客室の「特異性」としては、大きく3点存在していると考えています。
① 奄美大島の大自然がダイレクトに感じられる客室
② 完全なプライベート空間の客室
③ ペットと一緒に宿泊できる客室とその設備の充実
つまり、「特異性」として記載した内容は、その宿泊施設の売りのことで、多くの宿泊施設では導入することが難しい内容や躊躇するような内容になります。違う言葉で説明するならば、宿泊施設の利用者を選別する(限定する)ことであり、利用者全体の母数を減少させることになります。しかし、その「特異性」はその宿泊施設の売りであり強みになり、結果として宿泊施設の生き残っていく手段となると考えています。
総評
昨今の多くの宿泊施設を見ていると、その殆どが同じような施設であり、それぞれの違いを見いだすことが困難です。重ねての自論になりますが、その宿泊施設の多くは生き残ることが難しいと思います。しかし、どの宿泊施設でも何らかの「特異性」を見いだすことができれば、将来的に生き残っていける可能性があると信じています。
補足事項
[01]:建築士法第3条「一級建築士でなければできない設計又は工事監理」より。
[02]:公共建築工事は、一般に「公共工事の円滑な施工確保に向けた『営繕積算方式』の適切な運用について(令和3年4月23日付け国不入企第6号)」により、実勢を踏まえた適正な積算を通じた予定価格の適正な設定を図ることとされており、物価上昇分は入札価格に大小あるが反映されていることが多い。
寄稿者 荒井正彦(あらい・まさひこ)建築家・一級建築士 / MASAHIKO ARAI ARCHITECTS STUDIO 主宰