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「ドラマのような森舞台・宮城県登米市」トワエ・モア ~音楽(おと)のある東北 第17回 2016年10月8日~

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「とめ」・「とよま」

 宮城県北東部に位置する登米市登米町。かつての城下町は、北上川の水運で栄えました。そして、明治初期には、水沢県庁も置かれた「みやぎの明治村」と呼ばれています。廃藩置県によって、外からこの地にやってくる藩主たちは、東北の地理に明るくありません。ここを『とよま』と読むことができません。その結果、明治以降『とめ』と『とよま』の2つの呼び方が誕生しました。アイヌ語の『トイオマイ』が語源の説があります。それは、食べられる土の出るところという意味だそうです。食べられる土とは、石灰岩だったらしいです。

 今宵は、この旧登米町(とよま)の能舞台がステージです。

のちに「朝ドラ」にも

 朝から雨降り、仙台市内から車で向かったために、この場所の地理的感覚がありません。しかし、開場時間が近づくにつれて、お客さまがやってきます。かなり遠くから来られている方もいらっしゃるようです。

 伝統芸能伝承館「森舞台」は、もともと登米伊達氏の鍛冶屋屋敷跡地。そして、当地の伝統芸能(能・神楽・囃子)の活動拠点として1996年に開館しました。隈研吾さんが設計し、1997年には日本建築学会賞作品賞を受賞しています。

 舞台の柱は地元産のヒバを用い、屋根は当地特産の天然スレート葺。舞台には腰板をつけていません。それ故、夜になると舞台は宙に浮いているような感覚になります。また、床下には、瓶を数個配置し、足拍子の共鳴装置としています。そして、舞台と見所の間の白洲は空間を広く取り、白玉砂利ではなく黒い砕石を敷きつめています。まさしく、周辺の森の暗さとの一体化を醸し出しています。

開演を待つお客さま
開演を待つお客さま(左側が森舞台)

 一年延びた東京オリンピックが開催される前の2021年、NHKの朝ドラ『おかえりモネ』では、主人公がここで能を鑑賞するというシーンも演じられました。まさしく、ドラマのような能舞台です。

 また、このドラマは、太平洋に面した気仙沼大島(ドラマの上では亀島)が舞台でした。山の「登米」と海の「亀島」を対比させ、自然環境といかに共存していくか、というテーマも描かれていました。

森は海の恋人

『森は海の恋人
『森は海の恋人』畠山重篤著

 このドラマは、一冊の本が参考になっていると言われています。1994年に発刊された、畠山重篤さんの『森は海の恋人』という本です。

 高度経済成長期の1964年頃、気仙沼湾沿岸では生活排水が海を汚染し、赤潮が発生するようになりました。そのため、売り物にならない「血ガキ」廃棄を余儀なくされ、廃業する漁師が続出しました。筆者は、海だけでなく、陸にも原因があると感じていました。そして、1984年にフランス訪問します。磯には魚介類が豊富。河口の街で稚ウナギ料理が出される。ロワール川を遡ると広葉樹林を目の当たりにします。

 当時、気仙沼湾に注ぐ大川には工場排水が流れ込み、上流部では安い輸入木材に押されて、針葉樹林が放置されていました。そのため、保水力が落ち、大雨で表土が流されていました。

 畠山さんが上流での森づくりを呼び掛けると漁師仲間70人ほどが賛同。地元の歌人熊谷龍子さんが発案した「森は海の恋人」を標語にしたのです。そして、科学的調査の結果、気仙沼湾の植物プランクトンなどを育む鉄、リン、窒素などが大川から供給されていることが実証されました。環境保護機運の高まりもあり、今では、大川上流の室根山(現在は矢越山)への植樹運動が広がっていきます。

(NPO法人 森は海の恋人) https://mori-umi.org/

トワエ・モア・・・響き渡る能のように

 さて、前置きがかなり長くなりました。

 今宵の主役は、トワエ・モアです。1968年に山室(現・白鳥)英美子さんと芥川澄夫さんのお二人で結成されました。翌年「或る日突然」でデビューし、大ヒットとなります。

 その中でも、1972年の札幌オリンピックのテーマ曲となった「虹と雪のバラード」(1971年発売)は、今でも歌い続けられる名曲と言えます。その後、1973年に解散。そして、四半世紀を経て、1998年の長野冬季五輪の際、志賀高原(長野県)で行われた長野オリンピック記念イベントに出演し、音楽活動を再開しています。

 能舞台と観客席は、対峙していました。漆黒の闇の真ん中には、小さな川があるようで、白鳥さんの透き通る歌声が、闇夜に響き渡ります。お客さまは、能を見ているかのように、どんどんとステージに魅了されていきました。

 そして、聞き覚えのある曲が流れてきます。

~♬ ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
   あの星たちのあいだに
   眠っている北の空に
   きみの名を呼ぶ オリンピックと ♪~
~虹と雪のバラード~トアエ・モア

闇の中で、ステージは終わりを告げました
闇の中で、ステージは終わりを告げました

テレビに夢中だった「あの日」・・・そして

 1972年2月6日、テレビ中継にくぎ付けになった日の丸飛行隊。宮の森ジャンプ競技場には3本の「日の丸」が翻りました。そのシーンと「虹と雪のバラード」がオーバーラップします。日本中が、歓喜の渦に巻き込まれた瞬間でした。

 現在のノーマルヒル(当時は70m級と言いました)、最長不倒距離84mを記録した笠谷幸生さんは、金メダルを獲得しました。残念なことに、今年、天に召されていきました。

 後年、新型コロナウイルスの影響でオリンピックが一年延期されるなど、誰が思ったでしょうか。

 人間が、命の循環を無視するようになると、神様は天啓を与えます。頻発する自然災害や疫病の世界的流行は、すべて、私たちに心の入れ替えを促される天啓と言えるのでしょう。

(つづく)

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=33

(キャピタルヴィレッジのHPはこちらから) https://www.capital-village.co.jp/

寄稿者 荒木伸泰(あらき・のぶやす) 株式会社キャピタルヴィレッジ 代表取締役

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