第2章 “ゲートウェイの島”与那国島
ボーダーツーリズムの魅力の一つは・・・
日本から対岸国に渡る体験、いわゆるクロスボーダーです。北海道大学出版会『ボーダーツーリズム 観光で地域をつくる』にはクロスボーダーとは「陸路、河川、湖上を徒歩や車、船舶を利用して、正式な手続きを経て入国通過すること」と書いてあります。海岸線の長さが世界で6番目、約35,000kmもある島国日本のクロスボーダーは海に限定されますが、隣国との旅客航路は数える程しかありません。豪華大型客船の出航寄港は華やかに報道されますが、海に引かれた国境線を超えて隣国に渡る航路の開設や廃止は全国ニュースにはなりません。稚内からサハリン・コルサコフ、境港から東海(韓国)経由ウラジオストクというロシア航路は今はなく、第1章で書いた通り、対馬と釜山との航路はコロナ禍により約3年運休しましたが今年2月から再開しています。2016年には年間25万人以上が利用し、TBSの人気番組「世界ふしぎ発見!」でも新しい旅の形、ボーダーツーリズムとして紹介された台湾の基隆と石垣島とを結んでいたのは不定期のクルーズ航路でした。そこに先日、石垣島と台湾基隆を結ぶ定期航路フェリー開設という嬉しいニュースが飛び込んで来ました。今の段階は開設を検討する委員会の設置ですが、コロナが5類感染症に移行されたことで定期航路開設に向けて大きく進み始めたようです。フェリーの旅客定員は800人なので教育旅行などの団体旅行にも十分に対応可能です。同市の中山市長は「県外から石垣に来た観光客が台湾に行くルートができる」とコメントしており、それは真に八重山・台湾のボーダーツーリズムが実現する大きな一歩となることが期待されています。
さて石垣島からさらに南西127km、
日本最西端の有人国境離島与那国島があります。東京からは約1,900kmの距離ですが、台湾とは約110km。私には経験はありませんが、年に数日、台湾が望める日があるようです。与那国ブルーの海と与那国グリーンの草原、DR.コト―が自転車を走らすのが目に浮かぶ周囲約27kmの天国のような島です。日本人の祖先が来た道の一つとも言われる日本最西端の碑がある西崎(いりざき)の海を眺めると潮の流れの速さに驚きます。2019年夏には地図、コンパス、スマホ、時計などは持たない、という3万年前の条件を課して、杉の木をくりぬいた丸木舟で台湾・与那国ルートの航海に国立科学博物館のプロジェクトチームが挑戦し、成功したニュースもありました。国境がない時代、人類の前に立ちはだかる壁は川のように流れる「海の水道」だったのだと、実感します。島の東端、東崎(あがりざき)には他品種との交配や品種改良が行われたことがない、固有種の馬・与那国馬が放牧されています。そこで生まれ死んでいく、生き物の自然の姿、厳粛な時間の流れに感動さえ覚えます。与那国島には固有の歴史もあります。16世紀初め、島を治め、琉球王朝の侵略からも島を守ったとされる女性「サンアイイソバ」の伝説は今でも語り継がれ、祭事も行われています。その時代、与那国島が国境地域でも周辺地域でもなかったことがわかります。ボーダーツーリズムのもう一つの魅力は「比較」することです。自然や風土、習慣、歴史などを台湾や日本本土のそれと比べてみると、類似点や相違点に驚き、好奇心を刺激されます。
魅力満載の与那国島ですが、
今は「台湾有事」に揺れています。昨年11月に同町の糸数町長の話を聞く機会がありました。台湾有事を想定した住民避難訓練や大砲を搭載した16式機動戦闘車が島民が目に見える状態で公道を走ったことなどがニュースになっていた頃でしたので、町長の危機感は想像を超えるものでした。最西端というと与那国島は“行き止まり”のようですが、そうではなく南アジアや東南アジアに大きく開けたゲートウェイなのです。ゲートウェイならではの歴史、風土、自然があり、「台湾有事」という現実もあるのではないでしょうか。実際、1945年の終戦までは与那国島は台湾と自由な往来があり、戦後も闇物資を送る復興貿易の拠点として栄えていたようです。与那国空港の滑走路の長さは中型機B737も使用可能な2,000mもあり、交流の拠点ならではと言えます。
与那国島と台湾との定期航路には採算性、危機管理など難しい問題があるのだと思います。しかしながら、前述した石垣島と台湾と同じように高速船で結ばれれば、既存の八重山諸島内の航路・空路も利用して、八重山・台湾の広域な観光圏が完成するのです。
与那国島は文字通り「美ら島」。「美ら海」の向こうには台湾が望める、国境の島でもあります。その独特の空気感、風土・風度は旅行者を魅了し、交流のゲートウェイであることで観光地としての可能性は大きく広がっているのです。
寄稿者 伊豆芳人(いず・よしひと) ボーダーツーリズム推進協議会会長