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ボーダーツーリズム(国境観光) 第14章 紀伊半島の峠を越えていく旅

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「峠」を越えていく旅

 今回は、国境を「くにざかい」と読んで「峠」を越えていく旅の話を書きたいと思います。

 日本に峠がいくつあるのかは知りませんが、長野県は、峠の数が多い自治体なのだそうです。私の亡父の故郷は長野県大町。私の峠を越える最初の体験は長野市へ向かう信越本線での碓井峠越えでした。最初は1960年の夏休みだったと思います。進行方向を転換するスイッチバックで越えていったのでしょうか。その記憶は定かではありませんが、横川の釜めしの美味しさは忘れることができません。

 「くにざかい」のトンネルを抜けるとそこは雪国だったように、昔から峠を越えると自分が住んでいる場所ではない世界が広がります。江戸時代の藩境については多くの歴史資料が残り保存会もあるようですが、街道や宿場町も整備されていない古代の旅人にとっては旅自体が命がけ。やっと峠を越えた向こうは異空間だったのではないでしょうか。

 私が峠の向こうの異空間を感じた紀伊半島の2つの峠の物語です。

雨の中の青山峠

 京都・大和方面と伊勢を結ぶ初瀬街道。青山峠を越えると伊勢神宮に至ります。古くは「青山越」と言われ、斎宮も伊勢神宮へ赴くときに越えた峠でもあります。斎宮とは、神話の時代から天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに都から伊勢に派遣された未婚の皇族女性のことです。

 1993年の式年遷宮が終わり、おかげ横丁の開業で賑わいが増していた頃、神社本庁と仕事に関わったことがありました。現代版の「おかげ参り」ツアーや全日空歴史イベントとして斎宮の道を辿る特別ツアーの企画などを行いました。

 青山峠から伊勢神宮を目指した当日は朝から激しい雨。実は晴れていても、青山峠から伊勢神宮を望むことはできないのですが、その日の青山峠周辺は白い濃霧に覆われ何も見えません。バス2台に分乗した古代史ファンはさぞやガッカリ、と心配しましたが、「斎宮が越えた時も雨の日はあったでしょう」とか「目を閉じれば伊勢神宮が見えますよ」など古代の難儀で命がけの峠越えについて個々に思いを馳せていた姿を忘れることはできません。

青山峠を越えた神域

 宇治橋の大鳥居は俗界と神域の境界と言われますが、青山峠は、より広域に日常の世界と神聖な伊勢神宮の域を分ける境界ではないでしょうか。

 伊勢神宮のもっとも古い由緒を持つ祭典に神嘗祭があります。神嘗祭とは、天照大御神に新穀を奉り収穫の感謝を捧げる祭事ですが、白い濃霧に覆わた青山峠を越えた年の行事の一部を見学することができました。

 天皇陛下に遣わされた勅使が、奉物を厳かに運ぶ姿を見送ることができました。勅使は女官で、まるで遠い昔の斎宮の姿のようでした。

悲話が残る藤白峠

藤白神社にて~筆者
藤白神社にて~筆者

 昨年10月中旬、和歌山県南紀白浜を旅しました。旅の詳細は書きませんが、悲劇の皇子と言われる有馬皇子の生涯を辿ることが目的でした。ご周知の通り、白浜温泉は道後温泉・有馬温泉とともに日本三古湯に数えられています。

 白浜温泉を有名にした人物が有間皇子と斉明天皇。二人が存命していた時代は、7世紀中旬のことですが、日本書紀にはその悲劇とその舞台である白浜温泉が「牟婁温湯」「紀温湯」の名で記されています。

 景色も良く、病にも効くと牟婁の温湯を伯母にあたる斉明天皇に薦めたのは有間皇子でした。しかし、その後、謀反の疑いをかけられ、捕らえられて天皇と中大兄皇子が湯治をしている白浜温泉に送られます。有間皇子は、詰問後再び大和へ護送されて帰る途中、藤白峠で絞首されてしまいます。

有間皇子の歌2首

 昨年の旅では、処刑されることを薄々知りながら有間皇子が白浜温泉まで往復した藤白峠を越え、皇位継承の可能性も多分にあった御年19歳の有間皇子の悲劇を偲びました。藤白峠の入口には家にいたら器に盛る飯を今は椎の葉に盛る嘆きを詠んだ有名な歌の歌碑があり、自らの命の無事を祈って松の枝を結んだ「磐代の結松」もひっそりと残っています。

 家にあれば 笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

 磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む

 その日の宿に着いた時、支配人から「今日は1年に何度しかない晴天です。ぜひ海に落ちる夕陽を見てください」と促されデッキに出てみました。夕陽の美しさは、もちろん古代人も遠望したであろう四国まで見ることができました。

白浜温泉からの眺望~遠く四国も見えます
白浜温泉からの眺望~遠く四国も見えます

共通点と相違点を学ぶ旅

 現代の国境線(National Border)を越えていくボーダーツーリズムを体験することはなかなか難しいですが、長い歴史の中で日本と周辺地域とは交流が盛んな時代もあり、国境をはさむ境界地域の交流の歴史、文化、風土の共通点や相違点を学ぶことはボーダーツーリズムの楽しみのひとつでもあります。

 そして、今日は古代まで遡って紀伊半島の峠を「くにざかい」とした物語を訪ねた自らの旅を紹介させて頂きました。

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=17

寄稿者 伊豆芳人(いず・よしひと) ボーダーツーリズム推進協議会会長

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