「もんなか」・・・都内でも古くからの観光地
横綱が土俵入りをすることでも有名な富岡八幡宮やその別当である永代寺の門前町。これらを中心として発展した門前仲町。通称「もんなか」は江東区を代表する旧深川区の観光地だ。地元の方々が憩う古くからの町と新たな観光客が同居する不思議な場所である。
永代寺は明治元年(1868)に廃仏毀釈によって廃寺となる。そして、その塔頭である吉祥院が1896年に復興され、成田山新勝寺を勧進して、深川不動尊と呼ばれるようになった。
また、富岡八幡宮は江戸最大の八幡宮と言われる。八月に行われる深川八幡祭りは、江戸三大祭に数えられている。
「せんべろ」・・・地元の方々が闊歩する町
昔から神社仏閣の門前には、参拝をする人々や物見遊山に訪れる方々のお腹を潤す飲食店が多数出店した。ここ門前仲町も例外ではなく、永代通りの南北ともに個性を競った飲食店が少なくない。特に清澄通りとの交差点の裏側は、昭和からの長屋が残されている。「せんべろ」という言葉の発祥と言われるお店が数多い。
一方、地下を東京メトロが走る永代通りの南側、大横川との間にある場所は、飲食店のディープゾーンだ。永代通り沿いの名店「魚三酒場」は、16時の開店から満席になる門前仲町を代表する居酒屋。座ってから2時間と決められ、時間になると新しいお客さまと入れ替わっていく。
そして、そこから一歩細い路地に入ると「新旧」「和洋中」とお店が立ち並ぶゾーンである。なかなか、一見さんは、入りづらいお店ばかりである。勇気を出して、のれんをくぐると、一見さんでなくとも仲間入りできる。そこが、「もんなか」の良いところなのだろう。
「広域連携」・・・共存していく戦略
アーケードの永代通りが中心と思われがちだが、清澄通り西側の裏手に、2009年「深川東京モダン館」が開業する。江東区の観光と文化の拠点だ。その建物は、1924年以降、深川公衆食堂などとして使用されていた。国登録有形文化財建造物に登録されている。
「もんなか」は「谷根千」などとともに、早くから東京の「町歩きブランド」となっていた。しかし、近年は、隣町である清澄白河や亀戸なども町歩きが好まれるようになった。その理由は、深川江戸資料館や東京都現代美術館などの文化芸術施設の誕生や亀戸天神などの神社仏閣の存在にあるという。かつては、「もんなか」で自己完結する動きが大きかった。しかし、広域での人の動きを模索することが重要と考えるようになった。
現在では、南北に広い江東区。しかし、昔ながらの旧深川区界隈は、江戸時代に新たに設けられた町である。その場所に老若男女が集まる。広域での観光誘客は、地域に長時間滞在させる素晴らしい戦略である。そのような取り組みを江東区は進めている。
今宵は「もんなか」明日は「かめいど」と地域から人々を流出させずに滞留させる。そのような「せんべろ」の仲間入りと洒落こんでみようと思う今日この頃である。
門前仲町「せんべろ」の様子を・・・
(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8
取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長