山田洋二監督は北海道を舞台とした名作も撮っている。1977年封切り。高倉健が主演で、倍賞千恵子や若き武田鉄矢と桃井かおりが共演し、「寅さん」も高倉の面倒をみた警察官として友情出演。
第1回日本アカデミー賞を始め、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞など国内の映画賞を総なめしたことで有名だ。
私も以前、米国に滞在した折、日本からDVDをわざわざ持って行って、穴があくほど繰り返し見ていた(「ウルトラマン」英語版を買ったときの話)。
2001年に札幌に赴任したあと、道内をくまなく旅したが、この映画が北海道を網羅しているのが愉しい。
これぞ、全編ロケのロードムービー
愛車ファミリアに一人で旅に出て、フェリーで釧路に到着した武田鉄矢が、網走、阿寒湖、陸別と廻る途中、刑務所から出てきたばかりの高倉や失恋傷心で一人旅をしていた桃井を乗せてまわる珍道中。いまはほぼ絶滅した列車の車内販売をしていた桃井が同僚に彼の浮気を教えられ、車内で泣き崩れる姿が印象的だ。
高倉と武田が映画のなかでも福岡出身の同郷という役柄も、九州から北海道に移った身としては楽しい。帯広でたこ八郎の高級外車を武田が蹴ったことで、急遽、逃げるためハンドルを握った高倉。だが検問にひっかかり、無免許、そしてムショ帰りが発覚。ここで新得の警察署にいた渥美清が登場して高倉は解放される。
ドラマはここから急展開する。高倉が刑務所に入った過去が明かされ、炭鉱・夕張がクローズアップされる。待ち続ける女房・倍賞のもとに戻るか、戻らないか。勇気を絞ってファミリアが家にいくと、黄色いハンカチが家のまわりにあふれんばかりに。高倉は家に帰り、武田と桃井はラブラブ、めでたし、めでたし。
終着「夕張」の今の姿
と終わりたいが、そうはいかない。「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地ツアーをしてみたら、その理由がわかる。ゴールの夕張が哀しいからだ。かつては日本有数の炭都としてその近代化をけん引した夕張。だが石炭産業の衰退を受け、地元を支えてきた北炭は1977年までに撤退。
そのため、夕張市は北炭の施設(土地、住宅、病院など)を買い取り、まちの再建を目指す。夕張市は「石炭のまちから観光へ」をスローガンに1990年から映画祭を開催する。「幸福の黄色いハンカチ」が舞台となったまちだからそのインパクトは大きかった。日本でも指折りのイベントとの評価を受け、JR北海道も熱烈に支援する。
だが成功は長く続かない。2006年、市の赤字が膨らみ、財政再建団体入りすると映画祭から手を引く。その後、有志により運営を続けてきたものの、苦しい台所だったのだろう。2024年には受賞者への賞金未払いが新聞にリーク。10月開催予定のイベントはつい先日まで場所未定とされていた。
(未払いのニュース) https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20240726-OYT1T50052/
ひとつひとつの集落の集合体
その夕張にはロケ現場を再現した「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」がある。ただ夕張の地図を見たら、その広さにびっくりするに違いない。JR特急が止まる新夕張駅から、かつての映画祭の舞台や遊園地があった「石炭の歴史村」まではバスでおよそ1時間。その間に、想い出ひろば、清水沢、リゾートホテル(閉館)とスキー場がある旧夕張駅付近が点在する。
ひとつひとつが遠く、つながっていない。そう夕張とは複数のまちの総称に過ぎず、それぞれのまちを一括りにした呼び名なのだ。
夕張線が廃線になり、札幌からの直通バスもなくなる今、夕張は車がなければ到底、廻ることはできなくなった。泊まるところもほぼない。つまり、夕張全体を歩くことなど不可能だ。せめて旧夕張駅のそばから、かつて繁華街があったあたりをぶらっとしてほしい。驚かないでね。廃墟のような建物が手つかずのまま放置されている。誰も住んでいない炭住もある。
消失していく町は、近未来の縮図
誰かが言った。「被災地を見ているようだ」。夕張市は「コンパクトシティ」をスローガンにまちの集約を試みる。だが、つながりのない点の集積のようなまちをまとめるのは難しい。夕張をみていると、ひとつひとつまちが広域のなかで消失していく日本の近未来を見てるかのようで寂しい。
(想い出ひろばサイト)
https://www.yubari360.com/spot/spot-57/
「幸福の黄色いハンカチ」。それは勢いのあった昭和の良き時代の記録でもある。ロケ地の旅は、変わりゆく地理のみならず、失われた時間をも思い出させる。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=20
寄稿者 岩下明裕(いわした・あきひろ) 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授