2023年8月、宇都宮に新たな路面電車が運行を開始した。次世代型路面電車(LRT=ライト・レール・トランジット)と言い、他の交通機関より建設費用等も低廉であり、路面電車の在り方も変化している。
都電・・・その成り立ち
東京都の路面電車は、1882年に開業した東京馬車鉄道がその前身である。1903年から1904年にかけて、東京電車鉄道、新規開業の東京市街鉄道、東京電気鉄道の3社によって相次いで開業。そして、3社は1909年に合併して東京鉄道となった。さらに1911年に東京市が同社を買収して東京市電、1943年の東京都制施行によって都電となった。
最盛期(1955年頃)には営業キロ約213 km、40の運転系統に広がっていた。一日約175万人が利用する日本最大の路面電車であった。しかし、モータリゼーションや地下鉄建設などによって採算性が悪化した。そして、1967年に東京都交通局は、財政再建団体に指定される。そのため、再建策の一環として、1972年までに全廃が決まった。
しかし、1972年以降、荒川区の三ノ輪橋停留場と新宿区の早稲田停留場を結ぶ12.2 kmのみは、運行が継続されている。これは、路線が比較的専用軌道を運行しており、クルマ社会の弊害にならないことが、残存理由と言われる。
環境負荷をかけない・・・それが、復権の最大事由
高度成長期、大都市において、クルマ社会は飛躍的に伸長した。通勤も物流輸送もクルマが活用された。その理由は、小回りが利くことにあった。しかし、その結果、排気ガスや光化学スモッグなどの都市型公害を呼び寄せ、クルマ社会は転機を迎える。それは、公共交通機関の復権である。環境負荷をかけない路面電車が再び脚光を浴びることとなったのだ。
しかし、都電荒川線は、すべてが専用軌道を走っているわけではない。そのため、道路共用区間においては、交通渋滞に巻き込まれることもある。また、停留所の大きさは、一両編成の電車にしか対応していないために、昨今導入されている連接車は運行できない。車両の数もなかなか増やすことも難しいと言われる。
実際に、三ノ輪橋から早稲田まで乗車すると、見えてくるものがある。
沿線は、JRや地下鉄などと交差して、乗り換えることができる。そのため、地域間輸送の観点からすると、それなりの成果を上げていると言える。場所によっては、昼間でも満員電車のような時もある。そして、地域間輸送は、昨今各地で運行されているミニバスの電車版とも言えよう。JRや地下鉄の保管機能としては、充分な存在である。
輸送手段ではなく、観光目的として・・・
さて、我々が都電荒川線と関わるのは、観光コンテンツとしての路面電車となる。そして、沿線観光施設とどのようにオーバーラップしていくかが重要なことである。ここからは、観光の側面から都電荒川線の現状と将来を見据えてみることとする。これまでも「観光地として成功していくには、全国区のコンテンツが必要」と述べてきた。
(東京23区 リーダーたる観光振興 ②) https://tms-media.jp/posts/5635/
昨今、「東京さくらトラム」という名称を導入し、沿線の「さくら」「バラ」に焦点を当てて、観光誘客を進めてきている。また、全国区と考えられるコンテンツとして、「サンシャイン60」「飛鳥山」「巣鴨とげぬき地蔵」「早稲田大学周辺」を挙げることができる。そして、「荒川遊園地」「鬼子母神」「ジョイフル三ノ輪商店街」なども地域における観光地ともいえる。
しかし、これらのコンテンツが単独で誘客を図るのではなく、地域連携を進めることが重要である。荒川区、北区、豊島区、新宿区と分断するのではなく、東京都がリーダーを務めて、連携強化することが大切である。
旅する貸切列車の模索
また、貸切電車を運行するプランも、ある程度、「乗り降りの自由度」を高めることも誘客につながる。しかし、これには、貸切電車を待避させる場所と造るなどの必要がある。単純に片道を乗り通すだけでなく、観光のために乗降するお客さまを増やすことができる。そして、貸切料金の単価アップにもつながるはずだ。(現行の貸切制度は片道運行@13,820/回)
(都電貸切HP) https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/toden/kanren/kashikiri.html
全30停留所をご紹介
では、ここからは沿線ガイドを兼ねて、コンテンツを深堀してみよう。
都電には、30の停留所が存在する。その中でも荒川区内は、一番多く13停留所となる。
01.三ノ輪橋(ジョイフル三ノ輪前)
勝手ながら、今回は三ノ輪橋をスタートとする。東京メトロ「日比谷駅」との乗換駅とも言われる。しかし、そもそも日光街道沿いに三ノ輪車庫があり、このあたりから、現在の三ノ輪橋に線路が分岐されていた。そして、その名残として、王子電気軌道の本社ビルがる。そのビルの下を線路が延びていた。
また、線路北側に並行して、三ノ輪銀座商店街(ジョイフル三ノ輪)がある。この周辺には、スーパーマーケットはない。そのため、地域住民のほとんどが、この商店街で買い物をする。昭和レトロな商店街は、数多くのテレビや映画のロケ地としても使われている。
02.荒川一中前
この停留所は、ジョイフル三ノ輪商店街を買い物をされる方々の利便性を高め、回遊させるためと言われた。その結果、2000年11月新規開業。「都電に乗って、三ノ輪で買い物を!」という意味合いであった。しかし、大きな効果は得られなかったという。
03.荒川区役所前
荒川区役所への最寄りの停留所であり、地域住民にとっても利便性が高い。また、明治通りから日光街道に抜ける近道として、千住間道沿いに作られた停留所。後方には、スカイツリーも見ることができ、フォトスポットとなっている。
04.荒川二丁目(ゆいの森あらかわ前)
荒川自然公園の最寄り停留所であり、荒川区が先進的な図書館として作った「ゆいの森」もある。現在、明治通りのバイパスとして、「梶原」停留所まで道路の拡張が行われている。また、日本初の下水処理場「三河島水再生センター」もこの場所である。
(東京再発見 第5章 三河島水再生センター) https://tms-media.jp/posts/21669/
05.荒川七丁目
下町風情を残す銭湯や戦前の建物も少なくない停留所。ここからもスカイツリーの雄姿を見ることができる。また、都内でも数少ない火葬場、町屋斎場も近隣である。
06.町屋駅前
京成電鉄・東京メトロ千代田線とクロスする荒川区の中でも有数の商店街エリア。この地域は、戦火から逃れたために周辺道路は曲がりくねった小径がたくさん存在する。そのため、尾竹橋通りから奥へ迷い込んだら、自分がどこにいるかわからなくなる迷宮となっている。
07.町屋二丁目
町屋駅前から続く線路沿い、地元の名店がたくさんあり、夜な夜な出没する人が多い場所だ。
08.東尾久三丁目
町屋の喧騒が嘘のようになった辺りは、町名が変わり東尾久となる。かつては、大通りもなかった。しかし、明治通りから尾久の原公園に向ける道(防災通り)が完成し、南北の行き来も良くなった。新しい分譲住宅も多く、若年層家族が増えている。また、近くには、枝垂桜が素晴らしい満光寺もある。
09.熊野前(東京都立大学荒川キャンパス前)
日暮里舎人ライナーが開業して、尾久橋通り沿いの足立区の方々の乗換駅になった。停留所から東側を望むとスカイツリー、西側には道路と共有された線路の雄姿を見ることができる。沿線の中でも有数のフォトスポットである。
10.宮ノ前
尾久の一之宮「尾久八幡神社」の門前町。周辺の碩運寺がラジウム鉱泉を発掘し、数多くの旅館や料理屋が建てられた。最盛期には300を超える店があったと言われる。そして、1922年に三業地(料理屋、待合、芸者置屋という花街)に指定。尾久の町は、一大温泉リゾートとして発展した。しかし、その名前を一躍有名にしたのは、1936年5月、待合「満佐喜」で阿部定が起こした猟奇的な殺人事件である。
戦後、荒川区はこの地に工場誘致を積極的に進める。地下水の汲み上げによって、温泉は枯渇していった。そして、リゾートの歴史は終止符を打った。
(昭和喪失 第6章) https://tms-media.jp/posts/5586/
11.小台
JR東北線尾久駅から西新井大師まで向かう「旧小台通り」が都電とぶつかるところが小台停留所である。周辺には、温泉の名残の料亭旅館が多数存在していた。しかし、コロナ禍によって、最後まで営業をしていた割烹「熱海」も業態を変えて、細々と営業を続けている。
12.荒川遊園地前
東京23区唯一の区営遊園地「あらかわ遊園」の最寄り駅である。1922年に開業した当初は、割烹や温浴施設のある大人の遊技場であった。2018年にリニューアルのため休業。2022年4月に再オープンした。遊具の大型化やバリアフリー対応が施され、近隣からの誘客も進めている。また、園内に都電の車両が静態保存され、店舗として活用されている。
13.荒川車庫前
路線のうち唯一の車庫。ここですべての車両が眠りにつく。そのため、本線から車庫に入る線路が双方から敷かれている。鉄道ファンには魅力的だ。また、古い車両も静態保存されており、時間によっては、内部見学ができる。さまざまな形の電車を見ることができるので、小さな子供たちが多いのも特徴である。
ここまでが荒川区、手前の荒川遊園地前からこの辺りは、線路沿いのバラの花がとても綺麗である。
14.梶原
明治通りと交差する場所が梶原停留所だ。そして、この北側には梶原商店街があり、その入り口に「都電もなか本舗 菓匠 明美」がある。1977年に開業した老舗の菓子処、都電の形をした最中が有名である。そのため、贈答品や子供たちに人気のお菓子となっている。
(菓匠 明美HP) https://www.todenmonaka.com
15.栄町
梶原を出ると、しばし専用軌道に入る。武蔵野台地の崖下沿いに向かう手前にひっそりと栄町停留所がある。小さな建物の軒を抜けて行く区間である。
16.王子駅前
かつては、赤羽方面へ分岐していた沿線内の大ターミナルである。JR京浜東北線、東京メトロ南北線への乗換駅である。そのため、朝夕のラッシュ時には乗降客が多く、停留所内に臨時の運賃箱を用意して、お客さまの対応していたことを思い出す。
また、ここから飛鳥山までは、道路と共用運行となる。そのため、電車は飛鳥山の曲がった坂道をクルマの間を抜けて行く。飛鳥山からもその姿を見ることができる沿線最良のフォトスポットだ。
17.飛鳥山
明治通りを抜けると飛鳥山からは専用軌道に戻る。江戸時代からの桜の名所「飛鳥山」は、新紙幣にもなった渋沢栄一の旧宅も隣接されている。時期になると花見客が数多く訪れ、都電も花見で渋滞になるほどだ。
18.滝野川一丁目
石神井川から分かれた「谷田川」が流れていた辺りの閑静な住宅街。暗きょとなった谷田川は、駒込しもふり銀座方面に流れていた。最終的には、上野の不忍池まで流れる川だ。
19.西ヶ原四丁目
かつては、東京外国語大学キャンパスもあり、学生たちが乗り降りする姿もあった。また、近くには染井墓地もあるため、彼岸になると墓参りの方々も少なくない。ここも閑静な住宅街だ。
20.新庚申塚
都営地下鉄三田線の西巣鴨駅の乗換駅である。しかし、乗換は若干の距離があり、初めての人は、迷子になってしまう可能性もある。国道17号(中山道)沿いの交通量の多い停留所で、道路と共有された信号機で運行されている。
21.庚申塚
新庚申塚停留所とは、目と鼻の先。走りだしたら、すぐに停留所という近さである。旧中山道沿いに作られた「庚申塚」がひっそりと建つ。おばあちゃんの原宿と呼ばれた「巣鴨とげぬき地蔵商店街」は、ここから巣鴨方面に進んだところである。
また、三ノ輪橋方面の停留所には、徒歩0分の「甘味処 いっぷく亭」もある珍しい停留所である。
(甘味処 いっぷく亭) https://ippukutei.owst.jp
22.巣鴨新田
庚申塚停留所を出発すると一気に坂を下る。東京都内が、「丘」と「谷」の町の連続だと思い出すことができる区間だ。谷あいである大塚駅を目指し、大きな敷地の都立文京高校の横に停留所はある。
23.大塚駅前
三業地としても有名であった山手線大塚駅との乗換駅がここだ。電車も時間調整などで、比較的長時間停車している。池袋に電車が通るまでは、この地域の一番の歓楽街であった。そのため、昨年まで日本最古のバッティングセンターもあった。また、ひとつ路地裏に入ると下町の「食」の名店も少なくない。夜が長い町のひとつであろう。大塚を出ると、再び、「丘」に向かって電車は登っていく。
24.向原
坂を登りきると国道254号(春日通り・川越街道)沿いに停留所はある。少し歩くと、東京メトロ丸の内線の新大塚駅もある住宅街だ。
25.東池袋四丁目(サンシャイン前)
東京メトロ有楽町線・東池袋駅との乗換駅。今では「サンシャイン60」の最寄り駅と表記されている。しかし、有楽町線が開業した頃は、とても不案内であった。訪日外国人も増えた昨今、観光客へのサービス機能は、「丁寧な案内こそ、第一義」だと考える。このことこそ、観光誘客にとって、最優先課題である。
現在、ここから学習院下まで大規模な改修工事が行われている。特に線路を移設して、路盤強化を進めている姿は、期間限定のコンテンツとも言える。
26.都電雑司ヶ谷
これまで単純に雑司ヶ谷と名付けられていた停留所は、2008年6月に東京メトロ副都心線開業とともに「都電」を冠する停留所に改称された。しかし、不思議なことに副都心線の雑司が谷駅は、隣が最寄り駅。一方、こちらは、雑司が谷霊園の最寄り駅なのだ。
27.鬼子母神前
副都心線の駅をなぜ、「雑司ヶ谷駅」と名付けたのか、とても不思議である。「鬼子母神」ではダメだったのであろうか。また、少し先には、歌の題名にもなった「千登勢橋」もある。都電に不慣れなお客さまは、間違って下りてしまうのではないか、と思うことしばしば・・・。
石畳の参道を、少し歩くと、入谷と並ぶ鬼子母神が大銀杏の中に佇んでいる。1軒だけ残る駄菓子屋さんが、昭和チックでとても素敵だ。
28.学習院下
鬼子母神前を出ると一気に崖下へ電車は下っていく。そして、途中目白通りの下を越えていく。この橋は「千登勢橋」だ。現在、明治通りの改修工事で並木も切られ、目白通りから明治通りへ降りる石造りの階段も閉鎖されている。
~♬ 電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上 ♪~
この場所に立つたびに、西島三重子さんの歌を口ずさんでしまう。とても素敵なフォトスポットでもある。
そして、坂を下り切ると、学習院下停留所である。
29.面影橋
神田川に架かる面影橋を直角に新目白通りに入ると面影橋停留所がある。ここは、道路の真ん中に作り替えられたものだ。かつては、高田馬場方面への分岐もあったと言う。また、太田道灌の逸話にある山吹の里の地とされ、江戸時代・明治時代には名所のひとつであった。
30.早稲田
さて、約1時間の路面電車の旅も終焉である。
終着駅は、早稲田。言わずと知れた早稲田大学の所在地である。新目白通りを大学方面に進むと都バスの早稲田車庫にぶつかる。かつての都電車庫である。現在の東西線と同じ経路で、電車は茅場町まで延びていたらしい。
しかし、道路の真ん中の終着駅故、お世辞にも風情があるとは言い難い。この停留所だけでなく、都電を単なる輸送手段だけでなく、観光コンテンツとして活用するのであれば、もう少し、装飾しても良いのではないだろうか。
全国各地に路面電車は存在する。観光客が好んで乗りたいと思ってもらえる取り組み、まだまだ考える余地はありそうだ。
沿線のバラの花めぐりも一興
都電沿線のバラの花は、1985年から荒川区内の植栽可能な約4キロに植えたことに始まる。既に40年近くが経っている。荒川区内だけでなく、大塚駅周辺でも同様の取り組みがなされている。そのため、時期になると色とりどりの花を愛でることができる。
春と秋には、140種13,000株の花が咲き誇っている。特に、あらかわ遊園入口周辺や荒川二丁目停留所、町屋駅前に数多くの花が植えられている。そして、その中でも基点である三ノ輪橋停留所は、電車の停車時間も長いため、さまざまな設えの車両とバラの花々の競演を見ることができる。
バラの見頃は、春は 5月中旬~ 6月中旬。秋は10月中旬~11月上旬だそうだ。また、路線図には、桜とバラが咲いている場所がマーキングされている。しかし、その情報を観光客がどれだけ周知しているだろうか。沿線誘客の拡大のためには、もっと詳しい情報発信が必須だと考える。
沿線誘客拡大のための課題は・・・
行政区分が多岐に渡り、一元管理されていないことが、都電沿線の誘客拡大の大きな壁になっていると感じる。また、運行されている車両を、現状では保有数を増やすことができないと言われている。輸送密度を高めることによって、観光客の利便性は高まる。そして、一編成当たりの輸送能力も向上させねばならない。前述のように、停留所の長さの拡大が難しいことが、大きなネットとなっている。そのことが、LRTで成功している都市の連接車が導入できないことにもつながっている。
一方、観光客が増えることは、「オーバーツーリズム」にもつながると考えられる。電車内での料金収受の問題や前乗り後降りのシステムの弊害など、早急に改善しなくてはならないことはまだまだある。
また、JRとの結節点も王子と大塚駅の2つ。大ターミナルである池袋駅への分岐延伸も計画されている。このことが実現すると観光客拡大の一助になることは確かだ。しかし、なかなか実現につながっていない。
お客さまの利便性を作るのは、地域行政の役目
路面電車が走る町では、全国規模で改善が進められている。例えば、広島駅や松山駅は、JR駅舎と直結させて利便性を高めるように計画されている。また、既に富山駅では、駅舎下に南北の停留所を統合している。
このように、先進事例は多岐に渡る。それらをうまく学習しながら大改修を進めていかないと、都電は、お客さまから置き去りにされてしまうだろう。
それ故、東京都交通局の本気度が試されるのだ。路面電車が見直されている今こそ、大々的な変革を目指す時ではないだろうか。
あらかわ遊園地が改修された時、今の路線を遊園地まで延伸させたなら、「あらかわ遊園地行」という掲示板を掲げた観光電車が運行できたのではないか。沿線の観光誘客のビッグチャンスにはならなかった。
個人的には、残念な限りである。
(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8
取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長