佐田岬半島のご紹介
一昨年からご縁をいただき、佐田岬半島の四季、祭りや伝統芸能を含む生活文化と人々の暮らしなどを被写体として年間を通して写真撮影をさせていただいている。
今年が2年目になるが、知っているようで知らなかった佐田岬半島もメロデイラインと称される国道197号が三崎港から大分県佐賀関港までをフェリーで繋いでいることから、交通量も多く大型バイクでのツーリングや自転車で訪れる人々も随分増えている。
プロフィール
佐田岬半島は北側に伊予灘(瀬戸内海)と南側の宇和海に挟まれた、四国にあって日本一細長い半島である。行政区画は、愛媛県西宇和郡伊方町で藩政時代は宇和島藩が統治していた。総延長50kmにも及ぶ半島は、一般的に「三崎半島」と言われることも多い。しかし、先の平成大合併によって伊方町と瀬戸町と三崎町が一つになって新伊方町として今日に至っている。今や三者三様の異伝統文化が受け継がれ黄金碆付近を舞台とした素潜り漁や一本釣りなどによる海の幸が人気を博している注目株だ。
仁田之浜牛鬼
これまでの撮影の中でいくつか目についたものがある。その一つが「仁田之浜牛鬼」だ。「牛鬼」といえば宇和島を連想される方々も多いと思うが、伊方町仁田之浜地区において受け継がれていて牛鬼もスケールが大きくなかなか荒々しい。迫力満点の激しい動きは舁き手は無事かと心配になり、思わずファインダーから目を離すことも度々あった。
そして、なんといっても特筆すべきはこの牛鬼が仁田之浜を出発する際に海を渡るということだ。行き先は対岸の川永田。ここから町内を回っていくのだ。
名取のルーツ
藩政時代は宇和島藩が治めていたことは先に述べた。その名残を強く残している地域がある。三崎地域の「名取(地区)の石垣」群がそれである。聞くところによると伊達本家が治めた仙台藩から伊達秀宗が宇和島へ赴く際に当時の仙台藩名取群(現在の名取市)から石工職人などを始めとする多くの人々を連れてきたことから「名取」と称するに至った。
訪れてみると、この石垣はなかなかのもので急斜面を上手く活用して築いた宅地や段畑は、当時の技術の高さと人々の暮らしぶりを連想させてくれる。
突き出た先端が「梶谷鼻」、半島の急斜面に位置するのが名取地区だ。ここからの眺めは季節にもよるが、リゾート感満点の絶景だ。撮影していると背後の国道を行き来する自動二輪の心地よい爆音が胸に響く。
瀬戸内海と宇和海を繋ぐ豊後水道の恵みと海と海を行き来する蒸気霧の流れには大自然の軌跡を感じさせられドラマを感じるのだ。
冒頭の写真は、「権現山から臨む夜明け(石鎚山が見えている)」です。次月から、「第三章佐田岬半島シリーズ」を始めます。
(つづく)
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14
寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員