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東京再発見 第38章 今では昔の姿から変貌して~千代田区外神田・秋葉原電気街~

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 秋葉原は、第二次世界大戦後、闇市として発展した街だ。電子機器やその部品を扱う電気街として大きな街となった。東の秋葉原、西の日本橋(にっぽんばし)と東京と大阪に電気街ができあがったのだ。今では、大型家電量販店やディスカウントストアなども出店を進め、主力商品はパソコンに移っている。

 そして、2004年にテレビと映画で「電車男」が放映される。すると、「オタク」文化の街に変貌する。この傾向は日本だけではなく世界的な現象。そのため、訪日外国人にも好まれる有名な観光地となっていく。その結果、「秋葉原」は「アキバ・AKIBA」という呼称に変化していった。

駅前のラジオ会館、壁面はキラキラと!
駅前のラジオ会館、壁面はキラキラと!

 これまで小さな電器部品を販売していた古めかしいビルが、キラキラとしたビルに変わっていく。そのビルの中には、各階にいろいろなコンセプトのメイドカフェなどが進出する。かつて、ほぼ男性一色だった街は、モノクロからカラーに様相が一気に変わった。

昔の姿は、やはり、舟運だ

 かつて、電気街の端っこに隅田川から分かれる神田川の船着場があった。そこには、北からの物資を鉄道が運搬し、秋葉原の貨物ヤードに送り込む。その横には、神田川につながる船着き場があり、舟運によって、東京の中心街に荷物を移動させていったのだ。

 また、駅の北西側一帯は神田青果市場(ヤッチャバ)が広がっていた。そのため、今でも一部に名残がある。コスプレをしたカフェ店員が、海藻や穀類を取り扱うお店の前でチラシを配っている姿も不思議な感じがする。しかし、もともとあった秋葉原の姿が、そこにはあるのだ。

かつての姿をかろうじて残している中央通り
かつての姿をかろうじて残している中央通り

 しかし、21世紀に入ると、東京都が秋葉原地区開発計画を進める。そして、古いビル群は解体され、JRを挟む双方に高層ビルが建ち進んでいく。綺麗なオフィス街として、秋葉原は再生を始めているのだ。貨物ヤードは、ヨドバシカメラとなり、ヤッチャバは、最先端のITビル群に変貌した。

 また、電気街は、サブカルチャーの拠点となっている。そして、歩行者天国が行なわれる中央通り、万世橋から末広町辺りがその中心である。

ここには、地番「秋葉原」はない・・・

 余談になるが、秋葉原駅のある場所は、千代田区外神田という地番だ。神田明神の氏子町である。一方、秋葉原という地番は、千代田区と台東区の区界、少し離れた場所、台東区の端にひっそりと残っている。また、秋葉原の謂れである秋葉神社は、佐竹町商店街や上野に近い松が谷に今でも鎮座している。まさしく、神田が本籍ながら、秋葉原という名で、一人前に成長していったのだ。そして、今では「アキバ・AKIBA」と名前を変えて、乗っ取ってしまったような気がする。

どこに何があるか、わからないお店
どこに何があるか、わからないお店

 今でも残る電器部品店をめぐり買い求める人と、サブカルを体感する人が、混在する不思議な場所。そこに、訪日外国人も入り乱れる。まさしく、カオスな町として、次なる世代を迎える準備をしている。まるでブラックホールがすべてを飲み込み、大きくなっているように感じる、そのような街なのかもしれない。

新旧の秋葉原の姿を

昔は石丸電気本店、今はエディオン。ラオックスは中国資本に!
昔は石丸電気本店、今はエディオン。ラオックスは中国資本に!
昔は秋葉原デパートと言われていた
昔は秋葉原デパートと言われていた
廣瀬無線ビル、駅前の古参ビル・・・業態は変わっている
廣瀬無線ビル、駅前の古参ビル・・・業態は変わっている
総武線のガード下、新旧の看板の対比が象徴的
総武線のガード下、新旧の看板の対比が象徴的
かつてはCDショップだった
かつてはCDショップだった
1棟すべてゲームセンターに変わってしまった
1棟すべてゲームセンターに変わってしまった
ガード下の電器部品販売店
ガード下の電器部品販売店
残念ながら、奥の方はシャッターが閉まっている
残念ながら、奥の方はシャッターが閉まっている
左側はカードの世界に変わっている
左側はキャラクターカードの世界に変わっている
町外れの電器部品販売店
町外れの電器部品販売店
秋葉原の裏側、昌平橋交差点
秋葉原の裏側、昌平橋交差点

(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8

取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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