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平成芭蕉の「令和の旅指南」⑯ D51が活躍した日本の鉄道遺産

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長浜鉄道スクエアから柳ヶ瀬トンネルへ

 人類にとって偉大な進歩は、磨製石器の「道具革命」、蒸気機関の「動力革命」、電話の「通信革命」、そしてノイマン型コンピューターの「情報革命」によるとされていますが、日本の近代化「鉄道の夜明け」は動力革命となった陸蒸気の汽笛によってもたらされました。

 滋賀県の長浜鉄道スクエア(旧長浜駅舎鉄道資料館)に保存されている現存最古の駅舎に入ると、当時の出札の様子が再現されており、陸蒸気が運んだ文明開化の声が聞こえてくる感じがします。当時の日本では、陸蒸気は「煙を吐く怪物」として敬遠されていましたが、長浜商人は鉄道の将来性を見込んで「駅」の誘致に取り組んだと言われています。

 この先見の明によって長浜は敦賀までの鉄道と大津への鉄道連絡船の駅としてにぎわい、日本遺産「海を越えた鉄道〜世界へつながる鉄路のキセキ」の物語は、トンネルで日本海と琵琶湖をつないだことから始まるのです。

 この長浜〜敦賀間の鉄道建設は日本人だけの手によって進められ、1882年(明治15年)3月10日に工事中の柳ヶ瀬トンネルを挟んで、長浜〜柳ヶ瀬間と柳ヶ瀬トンネル西口〜金ヶ崎間が開通しています。

 柳ヶ瀬トンネルは1880年(同13年)に工事が始まりましたが、この土地は湧き水が多く、地盤が軟弱のため工事は難航し、完成までに4年の歳月を要して1884年(同17年)にようやく開通しました。

 しかし、柳ヶ瀬トンネルはレンガ造アーチ型の狭い構造で、列車を苦しめる25パーミル(水平距離1000mに対して25mの垂直距離)の勾配があったために、その急勾配は機関士を悩ませ、また機関車が吐き出す煙も問題でした。そのため、柳ヶ瀬トンネルは「魔のトンネル」と恐れられもしましたが、難工事を経て、鉄道に様々な進化をもたらした物語は、私たちに多くの教訓を与えてくれています。

旧長浜駅舎鉄道資料館
旧長浜駅舎鉄道資料館

陸蒸気の代表「D51」蒸気機関車と日本最古の小刀根トンネル

 柳ヶ瀬トンネルは自動車専用のトンネルですが、「日本最古の鉄道トンネル」小刀根トンネルでは、「トンネル歩き」が楽しめます。私は旧街道歩きの下見の際、旧道のトンネルを歩く機会が多かったので、古びた「隧道(ずいどう)」と呼ばれるトンネルに関心を抱くようになりました。これらの中には小刀根トンネルのような建築土木遺産もあれば、ひっそりと朽ちるのを待つような廃道に近いトンネルもあります。

 いずれも車や列車で通過するのではなく、一人で歩いて通行すると何とも言えない冒険心が生まれてきます。この小刀根トンネルは、煙で黒くなったレンガなど、建設当時の姿を今に伝えており、有名な蒸気機関車D51「デゴイチ」の規格サイズも、このトンネルを通過できるかどうかが基準となったと言われています。

 敦賀にある敦賀鉄道資料館には、そのD51の1号車の写真が展示されていますが、この高性能な陸蒸気の代表的機関車D51の1号(D511)、2号(D512)が敦賀の機関区に配備されたのも小刀根トンネルの存在が関係していました。

現存最古の鉄道トンネル「小刀根トンネル」
現存最古の鉄道トンネル「小刀根トンネル」

「人道の港」敦賀港と欧亜国際連絡列車の開業

 また、この敦賀鉄道資料館は、「欧亜国際連絡列車」の発着駅として、かつて重要な位置を占めていた敦賀港駅舎を再現したものです。1912年(明治45年)、敦賀港駅は「大陸への玄関口」としての役割も担い、同年、敦賀港とウラジオストク(ロシア)を結ぶ客船に連絡する「欧亜国際連絡列車」の運行が開始され、資料館には東京- ベルリン間で使用したきっぷや、東京からパリまでの時刻表(いずれもレプリカ)が展示されています。

 そこで敦賀港は、明治から昭和初期にかけて、ヨーロッパとの交通の拠点としての役割を担い、1920年代にポーランド孤児、1940年代には「東洋のシンドラー」杉原千畝(ちうね)が発行した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であり、「人道の港」と呼ばれています。

鉄道の歴史に偉大な足跡を残した「旧北陸トンネル群」

 一方、この日本遺産の構成文化財に指定されている「旧北陸トンネル群」とは、難所の木の芽峠を越えるために作られた鉄道隧道で、敦賀から今庄にかけて築かれた13のトンネルを指します。廃線後は道路のトンネルに転用され、現在も11のトンネルが連続して残っていますが、活用されながら原型を残しているのはすごいことです。

 敦賀から1番目の「樫曲(かしまがり)トンネル」は、現在は歩道となっているため、小刀根トンネル同様に歩いて通ることができ、レトロな雰囲気を楽しむことができます。しかし私のお勧めのトンネルは、敦賀から7番目の「曲谷(まがりたに)トンネル」(260m)です。テレビ番組「マツコの知らない世界」においては、“日本のバック・トゥ・ザ・フューチャー”と名付けられ、トンネル探求家の花田欣也さんが先のトンネルが2つ直線で見通せることから「トンネルinトンネルinトンネル(トンネルの中に2つのトンネル)」という珍しいスポットとして紹介されていました。

曲谷トンネルを含む3連トンネル
曲谷トンネルを含む3連トンネル

 総じて木の芽峠などの険しい難所に鉄道を敷くためにいろんな工夫をこらし、トンネルを掘って新たな鉄路を開き、日本の鉄道の歴史に偉大な足跡を残した北陸線の開発物語は、やはり頭で理解するだけでなく、現地を訪れて五感で感じていただきたいと思います。

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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