今やファストフードのお店は、和洋中いずれも町中に営業している。しかし、その起源は、江戸時代に流行った立ち食い蕎麦屋であろう。当時は、一つの場所にとどまって蕎麦を提供するのではなく、屋台のお店だったという。
究極のファストフードのはじまり
明暦の大火の復興を目指す江戸の町には、多くの労働者がやってくることになった。そして、その人々のお腹を満たすには、素早く食事を摂り仕事に戻るスタイルが好まれた。そのため、立ち食い蕎麦屋は、流行り始めた。
注文して、瞬時に提供される蕎麦、汗をかきかき頬張る。真っ黒い出汁を飲み干して、店を後にする。そのような江戸っ子気質にマッチしていたのだろう。
さて、立ち食い蕎麦の店舗は、駅の周辺やオフィス街、遊園地や野球場などのレジャー施設などで営業されている。特に、明治時代以降に鉄道が敷設されると、駅の中に立ち食い蕎麦屋が誕生していく。また、高速道路網が発達すると、サービスエリアにも軽食コーナーとして設置されていった。
蕎麦屋は、なぜ関東に多い?
古くから、関東は蕎麦、関西は饂飩と言われている。その理由は、江戸周辺では小麦があまり採れなかったことにある。そのため、収穫までの日数の短く、やせた土地にも育ちやすい蕎麦が作られた。茹で上がるまでの時間がうどんより短くてすむことが、江戸っ子気質に合ったのだ。
また、当時はビタミン欠乏症であったため、脚気が流行していた。それを避けるために蕎麦が好まれたようだ。
しのぎを削る天ぷらなどのつけ合わせ
東京の町を見回すと、人が集まるところにチェーン店の立ち食い蕎麦屋が多数出店されている。場所によっては、隣り合わせに営業している姿も見受けられる。
また、個店であっても有名な店ともなると、24時間営業のお店は、タクシーの運転手などの口コミでにぎわいを見せる。昨今は、SNSでの発信や立ち食い蕎麦だけを特集するテレビ番組などによって、人気店は、いつ訪れても行列を成している。
そして、多くのお客さんをさばくために、券売機で無機質に注文を取る店が増えている。しかし、店員さんと会話をしながら、その日のお勧めや一番人気の品を食すことができる町中の名店が、好まれているようにも思える。
また、単価アップを図るために、天ぷらやおいなりさん、カレーライスなどもその店の名物となっていく。そして、かき揚げが数種類ある名店や注文を受けてから天ぷらを揚げる店なども人気の的である。
フリークが巡るパラダイスエリア
さて、名店と言われるお店は、東京駅から東の方に多く営業をしているように思える。
例えば、東京駅から日本橋にかけて、隣り合わせ競い合う名店。会社の昼休みになると、毎日店を変えて、蕎麦を食べるという会社員も少なくない。また、人形町や小伝馬町には、隠れた名店も数多い。
しかし、コロナ禍を経て、会社に出社することなく業務を進めるスタイルが導入された。そのため、ビジネス街の個店が、廃業する姿も多いという。久しぶりにお店を訪ねてみると、張り紙が・・・などといったことも見受けられる。とても残念な気持ちになる。
また、フリークは、長距離遠征をしても食べに行くとも言われている。その結果、ますます人気店になっていく。このようなリピーター作りこそ、観光コンテンツ作りにも通ずる取り組みなのではないだろうか。
我が家から大通りに出た向かい側にも「通」が好んで通う名店がある。今日も朝から長い行列ができていた。
みなさんも、自分だけの「推し」を見つけ出しては、いかがだろうか!
(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8
取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長