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【前編】地域の遺産をすべてのワインボトルの中に ~第8回・国連観光機関ワインツーリズム国際会議・アルメニアから~

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文明の地、コーカサス地方・アルメニア

“Wine is one of the most civilized things in the world and one of the most natural things of the world that has been brought to the greatest perfection”.

                       Death in the afternoon, Ernest Hemingway

“葡萄酒ほど文明的なものはないし、これほど最高度に完成された自然物も少ない。”     

       アーネスト・ヘミングウェイ(「午後の死」佐伯彰一/宮本陽吉訳)

 ワインは、われわれ日本人より欧州をはじめとする彼の地においては数千年の歴史のなかで育まれた歴史や風土、文化とともに人々の日々の暮らしのなかで息づいているといっても過言でない。そう実感したのは、9月に欧州と中央アジアの接点、コーカサス地方に位置するアルメニアで開催された国連観光機関(旧UNWTO)におけるワインツーリズムの国際会議で訪れたアルメニアである。筆者は残暑の厳しい日本から同地に飛んだ。ウイーンから深夜便で約4時間弱のフライトであった。筆者にとっては2016年以来の再訪でもあった。

 国連観光機関はワインツーリズムが文化や歴史遺産の継承、雇用や経済成長の触媒の一助となることから、ガストロノミーツーリズムとともに、より深く掘り下げる専門会議を開催してきた。ガストロノミーツーリズムは今年11月に中東・バーレーンで行われる会議で9回目、ワインツーリズムは9月に開催されたこの会議が8回目となる。

 筆者は双方あわせて11回出席しており、うち3回はスピーカーとして登壇し、わが国の好事例の紹介も行ってきた。同機関および彼らの理論的支柱であるスペイン・バスクカリナリーセンター(BCC)職員以外の出席では最多とのことらしい。

出典:毎日新聞オンライン

 さてアルメニアの国土は九州を一回り小さくした約3万平方キロ、人口は約280万人となっている。世界で初めてキリスト教を国教とした国家(西暦301年)として知られているが、イラン(旧ペルシャ)、トルコ(旧オスマントルコ)といったイスラム強国に囲まれ、いやというほどの災禍に遭っている。

葡萄畑が点在する峡谷の上に立つ中世からのNoravank修道院(筆者撮影)

 結果的に同じキリスト教国家である帝政ロシアに依存してきたが(後のソ連邦から現在のロシア)、現在も係争中のイスラム国家であるアゼルバイジャンとの領土紛争ではロシアが全く頼りにならず、現在は政治、経済的にもEUとの結びつきが強い。ちなみに北に位置する親欧州のジョージアは現在ロシアにかなり影響力を行使されている。米国セントラル・フロリダ大学のローゼン・ホスピタリティ経営学部の原忠之先生はこうした歴史背景にも詳しく、アルメニアに赴く前にいろいろとご示唆をいただいた。こうしたなか、現在は米国が積極的に同国に援助をしており、米国版JICAであるUSAIDが歴史遺産の保存整備などを手掛けており、驚いたが軍事的支援も行っている。脱線するが、筆者の宿泊していたホテルのエレベーターで銃器以外の完全装備の米陸軍将校と一緒になった。基地でもあるのかと聞いたら、基地はないがアルメニア陸軍との共同訓練できたとのこと。微妙なコーカサス地方へ静かに深く関与もしているようだ。

 さてアルメニアであるが、実はワインづくりの歴史は古く2007年に発掘調査が行われたAreni-1洞窟では(現在も発掘中)、6,100年前にワインがつくられていたことが明らかになっており世界最古のワイン醸造が行われていた地域のひとつである。

6,100年前のワインづくりの遺物が発見されたArena-1洞窟の発掘現場(筆者撮影)

 大陸性気候の国土は寒暖の差が激しく日照時間は年間300日を超えるため葡萄の栽培には適しており、地葡萄の品種は350種を超えうち約60種がワインに用いられている。ワイナリーは全国に約150が所在しているが、農家が栽培した葡萄を自ら醸造して沿道で売っているものも合算すると数えきれないそうだ。アルメニアの国土自体の海抜が高く900~1,900mの高地でワインづくりが行われている。こうしたことから、アルメニアは歴史文化の保護継承とともにワイン産業を成長セクターとして位置付けており、今回の国連の会議につながっている。

海抜1,500mに位置する葡萄畑(筆者撮影)

ワインツーリズム国際会議

 副題としてCrafting authentic wine tourism experiences と称し、本格的なワインツーリズムの体験をどのように形作るかについてさまざまな議論や知見の共有が行われ、テーマごとにワークショップも開催され具体的な手法や好事例の共有も行われた。

 さて米国のGrand View Researchのレポート*によると、世界のワインツーリズム市場規模は2023年に467億ドルと推定され、2024年から2030年にかけて年率平均で約13%成長。2030年には1,070億ドルの規模になると予測されている。この成長を牽引しているのは、ユニークで没入感のあるワイン体験に対する消費者の関心の高まり、世界的な旅行需要の拡大、ワイン関連の観光インフラへの投資の増加である。デジタルツールや持続可能な取り組みも市場の成長に寄与している。

* https://www.grandviewresearch.com/industry-analysis/wine-tourism-market-report

 会議には35カ国から300人以上の専門家が参加し、ワインツーリズムがその発展とともに地域への貢献を推進し、文化財・歴史遺産の保護、雇用創出、経済成長への触媒として機能する可能性が強調された。国連観光機関のトップのズラブ・ポロリカシヴィ事務局長は、冒頭の挨拶で、この会議はワイン造りの歴史に根差した物語、習慣、儀式を共有する会議でもあり、これらのストーリーはワインだけのものではなく、何世代にもわたってこの伝統を育んできた人々、土地、文化についてのものであり、このストーリーの重要性を強調した。余談ではあるが、同氏は世界35カ国から300名の参加があったことに言及したうえで檀上からのスピーチのなかで全聴衆の前で私を見つめて、ただ一人だけ「ナカムラさん」と私に声掛けしてくれたのも感慨深かった。

 会議では歴史・文化・遺産の継承を視野に入れながらワインツーリズムのプロダクトとインフラづくり(観光地域づくり)をいかに行っていくか、持続可能な取り組み、(手段としての)デジタル、人材育成、将来の主たるユーザーたるZ世代へのアプローチに対して事例や手法の紹介、知見の共有や議論が行われた。

ワークショップセッション、左端が筆者(出典UN本会議公式サイトより)

地域の物語を紡ぎ磨き上げる

 会議を通じて強調されたのは、その土地で育まれた歴史、文化、風土がいかにそのワインを形作ってきたかのストーリーテリング(物語を語り紡ぐ作業)であった。特に伝統や歴史が魅力の鍵となる地域においては、ワインツーリズムの体験を豊かにするためにその物語をきちんと伝えることが必須であり、結果的に先祖伝来の文化の振興や保護にも役立つことであった。地域の物語を紡ぐ重要性は、わが国においても日本遺産の審査委員などさまざまな要職などを歴任され、観光地域づくりで日本じゅうを飛び回っておられる、筆者が敬愛してやまない丁野朗先生がいつもおしゃられていることでもある。

 新興のデスティネーションにおいては、こうした文化遺産を守りつつ、かつ観光客を引きつける2つの課題に直面しているが、二律背反しているものではなく、地域の歴史・文化と一体にして進めていく重要性とその手法についても知見の共有があった。近年ではこうした物語体験をデジタルテクノロジーが後押ししている。

デジタルによるブランディング・物語の没入体験

 この会議冒頭でもデジタルによるブランディングがワインのストーリー性、没入体験の後押しを行っている最近のトレンドの紹介もなされた。

出典Liz Palmer, UN本会議公式サイトより

 すなわちバーチャルによるリアルなワインテイスティング(VRを使ったリモートテイスティング、ワインキットは別送で自宅に届く)、インスタ映えする体験、モバイルでのシームレスな予約・旅程づくり、エコフレンドリーなブランディング(消費者に響く持続可能な実践)、位置情報によるターゲット化した広告、AIによるパーソナライズされたおすすめのワインジャーニー、こうした取り組みがさらにワインツーリズムをより進化させることに寄与し、後編に記す持続可能性にもつながっていく。

 後編では、ワインツーリズムの基盤整備や持続可能性、Z世代へのアプローチなどに触れていく。

 ※メインビジュアルは、「アルメニア人のシンボル アララト山」(筆者撮影2016年)

寄稿者 中村慎一(なかむら・しんいち)㈱ANA総合研究所主席研究員 

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