この距離が埋められるか・・・
日本一長い半島佐田岬。先端の佐田岬燈台駐車場までの距離は、伊方町役場から45㎞、八幡浜市役所から54㎞、大洲市役所から67㎞、松山空港からは実に123㎞に及ぶ。
半島とその周辺海域には地球のいとなみを象徴するかのような素晴らしい感動の物語が存在している。地球の鼓動とでも言って良いような、それこそ、地球が生きていることを実感するのだ。
人口減少に苦しむニッポン。今、全国各地でそれをリカバーするために多くの自治体がインバウンドへ舵を切っている。それは、この伊方町でも例外ではない。地域経済と生活基盤を維持していくために、リスクを抱えながらも突き進んでいる地域興しがそこにある。
ただ、佐田岬半島は四国西端にあって細長いだけに、その距離を如何に縮めるかという大きな課題がのしかかる。例えば、大型観光バス1台分のお客様方をお迎えするだけの宿泊施設や食事提供施設と、その仕組みが存在するわけではないのだ。
地域間競争が激しくなっていく現実。生き残っていくためにどこも必死で施策を講じているが、そう考えると「地域DMO」に課せられる役割は大変重要だと言える。
素晴らしい自然と絶景
その地域を撮影する際には、事前に把握しておかなければならないことがある。朝陽に始まり夕陽で仕舞い、お月様で寛ぎ生きていく日常の繰り返し。そこに、どのようなドラマが隠れているのか。人々が当たり前のようにこなしているその現実は、写真にして観ると素晴らしい感動であったり、涙の物語や人生が見え隠れする。
こういう場面に幾度も遭遇してきている私が、佐田岬半島を本格的に撮影し始めて3年。四国という日本列島においても別世界といえるこの島の最西端にこんなに素晴らしいことがあるということを、多くの皆様方にお伝えしていくことは写真家としての役割であろうと考えている。
朝陽と夕陽。見る人によって違いはあるが、私の得ている感触としては夕陽の方が感動する方々が多いようだ。それは撮り方にもよるかもしれないし、例えば、「夕焼け小焼け」などの詩に象徴されるように日常生活との結びつきが強いからかもしれない。
だが、この佐田岬半島においては、夕陽よりも朝陽の方に心を奪われてしまったというのが、私の正直な感想だ。
黄金碆に生きる
海上は、月明かりでもなければ暗黒の世界。しかし、夜が明け始めると景色は一変する。黒から濃い紫に。佐田岬半島の先端上部にオレンジ色が混ざり始めると、空は群青色に。日の出が近づくにつれて、空は一気にオレンジ色に染まる。海面から起つ蒸気霧が朝陽に反応して何とも言えない薄い黄金色に染まり、そこを三崎漁協所属の漁船が行き交う。
海底がせり上がっている黄金碆付近は荒れる。周辺は凪でも、ここだけはまるで荒れた冬の海のようだ。うねる波間に朝陽が射し込み反射して輝く。ファインダーを覗きながら地球の恵みに感謝しつつ、地域の皆さんも頑張っておられることをひしひしと感じるのだ。
実際に撮影するにあたっては、三崎漁協所属の皆さんにご協力いただき早朝から船を出していただくが、私の撮影状況を観察しながら、船を操船していただくことで写真になっている。この荒れた黄金碆付近での高い操船技術なければ、撮影にならないことを書き添えておきたい。
夕陽と名月
夕陽の撮影は全く逆方向から燈台を絡める。この場合、海は静かなので撮影は比較的楽。ただ海上からの夕陽撮影は、まだ1度だけなので、これから何度か経験していかなければ把握できないことも新しい発見もない。
豊後水道を行き交う大小さまざまな船舶の影や九州と四国間を航路にするフェリーなどが、撮影の被写体としては良いキャストぶりを発揮する。そういう観点から感動の度合いが高いのも夕陽のシーンなのかもしれない。
四国佐田岬。この半島での地域興しの物語は、今、始まったばかりだ。この地域が持つ本物のポテンシャルが何であるか。それは写真を撮りながら考え、地域の方々と話をしながら、また撮影していくことの繰り返しで見えてくると確信している。
(つづく)
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14
寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員
黄金碆 おうごんばえ と読むそうですね。船でないと近づけないと思いますが、佐田岬灯台までの歩きが大変と思われる方に海上から巡るサービスもあると聞いたことがあります。 佐田岬は国道から見る景色、港から見る景色だけでも素晴らしいですが、少し山にそれる、海側、例えば亀ヶ池温泉に寄るなどすると、また新たな眺望に出会えますね。