紅葉の名所、大分県の「耶馬渓(やばけい)」
今年はこれまでの高温の影響を受け、多くの紅葉スポットでは、見頃が遅くなっているようですが、紅葉の名所と言えば、大分県の耶馬渓(やばけい)、京都府の嵐山、栃木県の日光が日本三大紅葉名所と呼ばれています。
中でも耶馬渓は、川が溶岩台地を浸食した奇岩・渓谷の織りなす絶景が楽しめ、かつての文人や思想家の憧れの場所となった景色は一見の価値があり、中津市と玖珠(くす)町にまたがる景勝地の歴史文化を語る「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」というストーリーは、2017年に日本遺産として認定されました。
翌2018年は、頼山陽が「耶馬渓」という名前を全国に紹介した「耶馬渓誕生200年」という節目の年で、「耶馬渓」誕生200年祭の「頼山陽フォーラム」も中津で開催されました。
頼山陽は江戸時代後期の儒学者、歴史家、漢詩人そして画家でもあり、『日本外史』などの著作で知られていますが、1818年に当時外国との国交が盛んであった長崎を目指して旅立ち、下関、博多、佐賀、長崎、熊本、鹿児島そして大分と旅しています。
「耶馬渓」を紹介した頼山陽と「 擲筆峰(てきひっぽう)」
頼山陽は天領にある日田咸宜園の廣瀬淡窓と親交を深めた後、日田から豊前へ向かう途上、山国川(やまくにがわ)沿いの山水画の風景に驚嘆しながら中津に入り、友人である中津鶴居村の「正行寺」の雲華上人と歓談して山国谷の岩峰をしきりにたたえたそうです。
そこで雲華上人はそれならば世に聞こえた羅漢寺を見ればさぞかし驚くだろうと、翌日、頼山陽を羅漢寺へ案内したところ、羅漢寺は人工的で水がないと頼山陽はさほど感動しなかったと伝わっています。
しかし、頼山陽は「山は水を得ざれば生動せず、石は樹を得ざれば蒼潤ならず」と、帰路につく前に再度山国川の柿坂を訪ね、酒を飲みながら滝のかかる岩峰を眺めて画に描こうとしましたが、見事な景観に自分の筆では描けないと筆を投(擲)げてしまいました。
この逸話から命名された岩峰が有名な「 擲筆峰(てきひっぽう)」と呼ばれる名所です。
頼山陽はこの後、広島へ帰る船中から遠ざかっていく豊後の風景を惜しみ、その景観を「耶馬渓」と命名、帰宅後、水墨画に描写し、漢詩文を添えて『耶馬渓図巻記』として発表、天下に「耶馬渓」の名前を紹介したのです。
「耶馬渓」の景勝地「一目八景(ひとめはっけい)」
私は天領の日田から頼山陽と同じように山国川沿いを車で走り、まだ、紅葉には少し早かったのですが、頼山陽が歩いたとされる石坂道や奥耶馬渓、裏耶馬渓、テーブルマウンテンに囲まれた玖珠の城下町、神秘の谷の深耶馬渓などを巡りました。
この名勝・耶馬溪の中でも特におすすめの観光スポットは、若葉もみじの新緑から錦もみじの紅葉期まで、一年中鮮やかな景観を見せてくれる深耶馬溪の中心地にある「一目八景(ひとめはっけい)」です。山国川の支流、山移川に沿ったこの景勝地は、一度に海望嶺、仙人岩、嘯猿山(しょうえんざん)、夫婦岩、群猿山、烏帽子岩、雄鹿長尾ノ嶺、鷲の巣山の八つの景色が眺望できることから「一目八景」と呼ばれており、紅葉と荒々しい岩の対比が自然の力強さを感じさせ、文人や思想家の憧れの場所となりました。
ナショナルトラスト運動の先駆け「競秀峰」
頼山陽のようにじっくり眺めている余裕はありませんでしたが、わが母校の福沢諭吉先生が土地を買い、開発から守った「競秀峰」と禅海和尚が30年かけて掘った日本初の有料道路「青の洞門」は時間をとって散策しました。
1894年2月、20年ぶりに中津へ帰郷した福沢諭吉先生は、旧中津藩主奥平家の別荘を建てたいと耶馬溪を散策した際、「競秀峰」の山々が売却されることを耳にして「万一、心ない人に渡り天下の絶景が損なわれては取り返しがつかない」と、一帯の土地を購入する決心をし、自分の名を表に出さず、複数の土地所有者から「競秀峰」一帯の土地約1.3ヘクタール(1万3,000㎡)ほどを少しずつ目立たないように3年がかりで購入したと言われています。
もし、この福沢諭吉の先見の明と行動力がなければ、今の美しい耶馬渓を代表する「競秀峰」はなかったと思います。すなわち、頼山陽が命名した「耶馬渓」の自然を守る行動を起こさせた、今日のナショナルトラスト運動の先駆けは福沢諭吉先生だったのです。
「耶馬渓」の命名者、頼山陽の教え
頼山陽は「社会は活きた学校で、旅は活きた学問の場所である。人は旅によって多くの興味を感じ、詩や画を描き、自己の価値を高めていく」という信条を持って多くの旅をしたと言われています。
私も「平成芭蕉」と自称して旅を住処にしていますが、まさしく旅は人生そのもので価値観や活きた学問の場所であると考えています。今回「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」の日本遺産を旅したことで、私は改めて頼山陽に倣い、自己の価値を高めると同時に旅の感動を手記として残すべく努力したいと感じた次第です。
※サムネイル画像は、一目八景展望台での筆者
寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事