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ボーダフル・ジャパン 第2部 第9話 正やん・君と歩いた青春

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 私が初めて買ったレコード。中学1年だったろう。「かぐや姫」元リーダー、南こうせつのアルバム「ねがい」。かぐや姫の解散後に彼が出した2枚目のアルバムだ。鹿児島ラ・サールの寮生活、ラジオでよく流れていたシングルカット「今日は雨」に魅せられたのがきっかけ。

 だが、私の「こうせつ愛」は長く続かない。彼の唄は嫌いではなかったが、いつも同じ。変わらない歌詞やメロディに飽きを感じ、5枚目のアルバムあたりから買わなくなった。

LPとCDの数々
LPとCDの数々

 同じ時期、流行っていたのも、かぐや姫にいた伊勢正三。彼が結成した「風」(立ち止まらず、音楽的に常に進化していくことを目指すという意図からのネーミング)の2枚目のシングル、「あの唄はもう唄わないのですか」(1975年12月)。アルバム「時は流れて・・・」(1976年1月)を買ったのが中2の頃だったか。

かぐや姫、二人の出会い

 この2人には共通点がある。大分・舞鶴高校の先輩と後輩。どうやら、女にもてたかった高節(本名)がスラっとして美男子の伊勢をバンドに誘ったのが始まりとされる。当時、九州のフォーク(あるいはロック)アーチストたちはみな福岡を目指し、そこから東京へと旅立つ。チューリップ「心の旅」のストーリー「夜汽車にのって東京へ」は田舎の若者たちが一旗揚げようと覚悟して「上京」する心境が描かれる。

手元の残るレコード
手元の残るレコード

 東京に憧れ、夢破れた唄の多いこと(同じチューリップの「あこがれ 花の東京」という曲もあるが、マイペースの「東京」が有名だろう。正やんにも「冬京」<LAで作ったアルバム「海風」(1977年10月)収録>がある)。

 ところで、風は2枚目のアルバムあたりまで、叙情派フォークを代表するかぐや姫の延長といってよかった。「22才の別れ」「なごり雪」は言うまでもなく、「あいつ」「海岸通り」「お前だけが」(ファーストアルバム収録)、3枚目のシングル「ささやかなこの人生」(1976年3月)など、ときにしっとり、ときに軽い音楽と男女の機微をどこまでも突き抜けていく歌詞の魅力(ラブソング)は多くのファンを引きつけていた。

サウンドの変化、離れていく・・・

 3枚目のアルバム「WINDLESS BLUE」(1976年11月)を買ったときの衝撃をいまでも忘れられない。音楽性が根本的に変わっていたからだ。エレキやサックスを駆使し、ラブソングの歌詞が後景にかき消すようなメロディとサウンド。これまでとのあまりの違いに茫然自失。しばらくは、このアルバムを聴けなかった。もう2度と風のアルバムは買わないと思った。

 だが、なけなしの金で買ったもの。持っているアルバムの選択肢も限られており、いやいやながら何度か聴いてみた。1か月ほどたったころだろうか。なにかが弾けた。そのときから私は正やんのサウンドに夢中になった。なんとかっこいい。一筋のファンとなった。

 こうせつを捨てた私は、正やんのすべてのアルバム(ベスト盤を除く)を買い続ける。やがて、風が解散。正やんはひとりに。最初のソロシングルカット「想い出がつきない夜」(1980年4月)を初めて耳にしたのは、当時通っていたダンスホール「フロリダ」(鹿児島天文館)だった。ルンバを踊るにいい曲だったが、とても暗い作品で、正やんはまた変わっていた。

環境の変化、再び、近づいて・・・

 大学に入り、福岡に住んでいるころ、好きだったアルバム「ORANGE」(1983年5月)。この頃の正やんは、AORそのもの。都会的で洗練された音作り、そしてメロウ。ドライブや夜のビル街、真夏の海にあう。ラブソングをここまでサウンドで昇華できるのかと驚愕。LAの空と海を謳った「Orange Grove」(「ORANGE」収録)、あまりに完成度の濃密な高い恋のストーリーが唐突にポップに展開される「有り得ない偶然」(「海がここに来るまで」(1993年6月)収録)、メロディに聞きほれて歌詞を忘れてしまう「ハルの風」(「時のしずく」(1996年10月)収録)などなど。

 読者のみなさんはほとんど知らないだろうが、数えきれないほどの名曲がある。聴けば聴くほど好きになる。

 正やんは、海が好きだという。幼少時に津久見で育ち、毎日、海を見ていたからだと(津久見中学校の校歌も作っている)。とにかく海の唄が多い。私はそのなかでも九州を舞台にした唄はすぐにわかる。

 *津久見中学校校歌(https://www.city.tsukumi.oita.jp/uploaded/attachment/12423.pdf

ロードムービーを見てるかのように・・・

 「3号線を左に折れ」(「WINDLESS BLUE」収録)。福岡から3号線を北九州に向かい、左に曲がると志賀島に向かう道。夕暮れの志賀島からは博多の灯が見える。そして晩秋の島は寂しい。ストーブが恋しくなるわけだ。

 「青い10号線」(「ORANGE」収録)。宮崎に住んでいた私は大分を経由して北九州へと向かう海岸沿いの道だとわかる。太平洋の海は本当に青い。ただ津久見には10号線が通っておらず、この国道が海沿いを通るのは、宮崎、別府、行橋近辺だ。おそらく、正やんは別府あたりの道を想起しているのだろうが、私にとっては宮崎海岸の10号線が親しい。

正やんのサイン
正やんのサイン

 大学生の頃、福岡で正やんのライブにときどき通った。天神に近い、小さな都久志会館。近くでみる生の正やん。レコードと違い、声がたかく甘い。あまり記憶にないが、このときサインをもらったのだろう。当時、かぐや姫や風の唄はほどんとやらなかったと思う。「なごり雪」「22才の別れ」などライブで聞いた覚えがない。

 *都久志会館(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568740/

正やんは現役、僕らも追い続ける!

正やんとイルカのコンサート
正やんとイルカのコンサート

 時は流れた。70歳を超えたが正やんは、いまだにアルバムを出し続けている。音楽も日々、進化している。

 そして時々、拓郎ばりのメッセージソングをギター一本でやる。と思えば、同じ曲のサウンドが突然、AORに変わる。懐メロも出てくる。今年、イルカとやった「なごり雪50周年コンサート」にはびっくりした。かぐや姫のデビュー曲「青春」で始まり、エンディングもかぐや姫の定番だった「おもかげ色の空」。

コンサートポスター
コンサートポスター

 声の質はかなり変わった。まず高音がでない、声が伸びない。それでも、年にみあった声でいいと彼は気にしない(山下達郎の対極を見る)。ギターは相変わらず、うまい。背もしゃんとしていてカッコいい。

 もう過去の自分と折り合っているのだろう。「なごり雪」や「22才の別れ」どころか「ペテン師」「ささやかなこの人生」など初期の唄もよくうたう。

 正やんの作る歌詞は都会を抽象的にイメージさせるものが多い。だが、具体的なまちのイメージが浮かぶ唄もある。九州や大分の故郷を思い出させる以外にも、湘南はおろか、北海道の中標津を舞台としたものさえある。

 リタイアしたら、人知れず、海の潮風をまとった伊勢正三の舞台をひとつひとつ旅してみたい。いまに安住することなく、常に変わり続ける正やんを僕は好きなのだろう。僕らの青春はまだまだ終わらない。

ファンからの花
ファンからの花

(これまでの寄稿は、こちらから) 

https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=20

寄稿者 岩下明裕(いわした・あきひろ)

    北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

  兼 長崎大学グローバルリスク研究センター長

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