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平成芭蕉の「令和の旅指南」⑲ 加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲く高岡

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松尾芭蕉も訪れた万葉故地「高岡」の日本遺産

 年号が「平成」から「令和」になった2019年、私は万葉故地である飛鳥や奈良、若狭に加えて富山県の高岡をしばしば訪ねました。かつて大伴家持が政務をとった越中国国庁跡近くにある「高岡市万葉歴史館」の敷地内には、『万葉集』ゆかりの花木を植栽した「四季の庭」もあり、万葉人と触れ合うことができたからです。

 加賀前田家の町民文化が色濃く残る高岡ですが、街を歩いていると路面電車「万葉線」や日本料理「都万麻(つまま)」など万葉由来の名前も目にします。これらの言葉は、万葉集の編纂者とされる大伴家持が、越中国(現在の富山県と石川県能登地方)の国守(くにのかみ)として高岡の伏木に赴任していたことからきています。

 古今東西、人はおいしいものや美しいものを求めて旅をし、歴史を重ねてきました。私の敬愛する松尾芭蕉も『おくのほそ道』で高岡を訪ねており、大伴家持の古歌にちなむ越中の歌枕「有磯(ありそ)海」を俳句に詠んでいます。

 「わせの香や分入右は有磯海」(かぐわしい早稲の香りの中を分け入って進むと、はるか右手に有磯海が見渡せる)

 有磯海(富山の海岸で万葉歌枕の地)一帯は、「ありそ」の本来の意味である「荒磯」の景観をみせており、文化庁によって「おくのほそ道の風景地」として文化財に指定されています。しかし、高岡はまた「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡-人、技、心-」として日本遺産にも認定されているのです。

高岡の瑞龍寺
高岡の瑞龍寺

ユネスコの無形文化遺産に登録された「高岡御車山祭」と鋳物師

 私と芭蕉さんの生まれ故郷である伊賀上野も高岡同様、城下町を中心に町民文化が栄え、今も神輿・鬼・「だんじり」の巡行で知られる伝統的な「天神祭」が継承されています。

 高岡では毎年5月1日に行われる高岡関野神社の春季例祭「高岡御車山祭(たかおかみくるまやままつり)」が有名です。この祭りは富山県内で最も古く、御車山(みくるやま)と呼ばれる7基の山車が優雅な囃子とともに高岡の市街を巡行し、伊賀上野の天神祭りと同様にユネスコの無形文化遺産に登録されています。

 この祭りを盛大に行うのは加賀藩の伝統的な政策であり、町民にとっては神様に感謝を込める行事であるとともに普段の倹約生活から解放される気分転換の機会でした。また、これは内需拡大の意味もあり、町民自身が楽しむために自らの富を自らの町の産業に投資し、地域経済を動かすといった、今でいう地方創成の行事とも言えます。

 実際、国の重要有形民俗文化財にも指定されている御車山の装飾は、高岡市内の「金屋町」の鋳物師によるものが中心ですが、「金屋町」は前田利長が鋳物師を集めて、鋳物づくりを行わせた鋳物師の町です。人々の好みを研究しながら装飾品や美術工芸品としての銅鋳物が作られ、鋳物の一大生産地として発展し、今日では土蔵造りの伝統的建造物が立ち並ぶ「山町筋」と共に重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

高岡市金屋町伝統的建造物群保存地区
高岡市金屋町伝統的建造物群保存地区

前田利常による城下町から商工業都市への転換

 伊賀上野は天正伊賀の乱で織田信長によって壊滅状態に追い込まれましたが、この高岡も高岡城を築いて町の土台を築いた前田利長が在城わずか5年で他界。その城は廃城となるなど、同じ苦労を味わっています。しかし、高岡城の貴重な遺構が残ったのは、築城主の前田利長の跡を継いだ前田利常が、高岡城の敷地内に平和的利用として米・塩の藩蔵を建て、軍事的に使うつもりがないことをアピールし、江戸幕府に干渉の口実を与えなかったからです。

 城がなくなれば、城下町は存在意義を失いますが、利長の跡を継いだ前田利常は、高岡町民の他所転出を禁じた上で、高岡を麻布の集散地とし、さらに、海が近く、荷物を運ぶための川もあれば、伏木港(浦)という港もあったことから、魚や塩の問屋をたくさん作らせ、城下町から町民がささえる商工業都市への転換策を積極的に進めました。

高岡の基礎を築いた前田利長公
高岡の基礎を築いた前田利長公

荘厳かつ美しい佇まいの国宝「瑞龍寺」

 利常は、異母弟である自分に家督を譲ってくれた利長への深い恩義がありました。菩提のために造営した壮大な伽藍建築を持つ「瑞龍寺」や異例の規模を誇る「前田利長墓所」は、町民に永く利長の遺徳をしのばせるだけでなく、併せて町の繁栄を願う気持ちも込めて建立されました。「瑞龍寺」は利長の戒名に因んだ名前の曹洞宗寺院ですが、仏殿、法堂、山門が国宝に指定されているほか、多くの堂宇が国指定重要文化財で、素晴らしい建造物です。

ライトアップされた瑞龍寺
ライトアップされた瑞龍寺

 私は高岡を訪れた際、「高岡御車山祭(たかおかみくるまやままつり)」を見学した後、ライトアップされた瑞龍寺にも参拝しましたが、3Dプロジェクションマッピングが山門の左右に投影され、境内は幻想的な雰囲気に包まれていました。ただし、地元の人によると、夜の参拝では、本堂ではなく、トイレの神様と言われる烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)に無病息災、子孫繁栄などを祈るそうです。

 高岡は今も固有の祭礼など、純然たる町民の町として発展し続けており、この瑞龍寺のライトアップ行事においても、高岡市民の魂が色濃く残されているように感じます。すなわち、「加賀藩の台所」と呼ばれた高岡には、人々の心と技が結集された町民文化が今も花を咲かせているのです。

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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