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米国DMOはどのように設立され運営されているのか? ~地域それぞれのDMO~

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怪我の功名? ファミリーヒストリーをひも解く

 私事で恐縮だが少々お付き合い願いたい。筆者は市民マラソンランナーだが、先日自宅で思い切り足の小指をぶつけてしまい腫れ上がった状態で、翌日開催された箱根駅伝常連校の選手たちが大勢走るハーフマラソンを好タイムで走り切った。それで多少の怪我もなんとかなると思ったのか、その3週間後に那覇で開催されたフルマラソンにも出走した。ところがレース中から痛みがひどくなり、リタイアも考えたが、リタイアすると回収バスに乗せられるが、ランナーが走り終わったあとに運行するので、その日に帰る搭乗予定便に間に合わない。 飛行機に乗る一念でなんとかゴールして無事に帰京した。

 翌日に足首を見ると全体が象の足のようにパンパンに膨れており、ここで慌てて自宅近くの整形外科に飛び込んだ。医師はサッカーJリーグの元チームドクターだが、昭和のスポ根を久しぶりに見たと呆れておられた。検査結果は、やはり足指は骨折していたようで、足指を庇って走った結果、足首全体が相当やられてしまった様子。ここでようやく観念してランも止めて目下リハビリ中である。すると今までランに費やしていた時間がぱったり無くなった分、後まわしにしていた実家から回収してそのまま放置していた書類などの片付けにようやく着手した。

 片付けていると、筆者のファミリーヒストリーともいうべきいろいろなものが出てきた。祖父の戦前のパスポート、写真や戦前の日米両国発給の書類などである。以下は生前に祖父や両親から聞いた話である。筆者の祖父は明治36年(1903年)生まれ、炭鉱の町、福岡県直方(のうがた)の出身。官立明治専門学校(現九州工業大学)で鉱山工学を学び、採炭会社に就職するが、どういうわけかキリスト教ルーテル福音教会の牧師に転じる。明治の男性にしては長躯で180センチはあったが木登りは下手であったと聞く。その後、久留米の有馬藩藩士の長女と結婚し3女をもうける(三女が筆者の母)。 すでに日本軍が中国で戦線を拡大し、日米の関係が急速に悪化していたさなか、昭和14年(1939年)に米国フィラデルフィアのルーテル神学校(Graduate School, The Lutheran Theological Seminary at Philadelphia に留学する(1941年まで)。

大日本帝国の旅行査証、昭和14年頃の家族写真 (筆者所有)
大日本帝国の旅行査証、昭和14年頃の家族写真(筆者所有)

 日本人に対する感情も悪化するなか、1940年に制定された外国人登録法(the Alien Registration Act)に基づく祖父の居留証も出てきた。しかしながら現役の牧師であり、神学校に在籍している祖父は、日曜日の礼拝で時には会衆に説教を行い、礼拝後のランチやお茶会で現地の方々と交流し、温かく親切な米国人に囲まれた不自由のない穏やかな生活をしていたらしい。またクラスメートとのかけがえのない友情も育まれたようである。 

フィラデルフィア神学校内のチャペル(出典 同校ホームページ)
フィラデルフィア神学校内のチャペル(出典 同校ホームページ)

 その後、日米開戦の年、1941年5月に祖父はかってヘレン・ケラーも乗船した日本郵船の浅間丸で帰国する(乗船を示す書類や請求書も残っていた)。ちなみに浅間丸は太平洋の女王と称された豪華貨客船であったそうだが、1944年11月1日に米海軍潜水艦からの雷撃で沈没している (https://museum.nyk.com/ship_history.html 他)。祖父は帰国後、戦中から戦後しばらく久留米のルーテル福音教会の牧師を務めた。

 久留米教会は、キャンパス自体が国の重要文化財となっている神戸女学院、大丸心斎橋店、山の上ホテル(お茶の水)などの設計・建築で有名な宣教師でもあった米国人ウイリアム・メレル・ヴォーリズが手掛けたもので、鐘楼も備えた赤レンガ造りの見事な建物である(2019年に国登録有形文化財)。戦時中は視認性が高く空襲の標的になるからと塔を壊す計画もあったようだが、この教会のある区画だけは空襲から焼け残っている。

 ここに戦後、米国の神学校の同級生たちが従軍牧師(Chaplain, US Armed Forces)として来日する。彼らは祖父の安否を気遣い、福岡久留米までやってきたのだ。彼らは医薬品や食料、それに真っ赤な自転車まで抱えてやってきた。戦時中金属は軍に供出されており、自転車も市中にはない有様、そこに米国製の真っ赤な自転車とあって、ご近所の人達が行列して乗り回したそうである。叔母が一命をとりとめたのも彼らが持参した医薬品のおかげだったと聞く。母は数年前に他界したが、父親(私の祖父)の関係で多くの米国人たちとの交流もあったようで(母は英語が全くできないが)、彼らの気さくさや奉仕の心、優しさをよく語っていた。

米国のDMOの経営者たち

 筆者は現在、所属するANA総合研究所が会員となっている米国のDMOの統括団体であるDestinations International(以下DIと称す。本部ワシントンD.C)において、日本人として初めて地域における合意形成などに主眼を置いた委員会の委員を拝命している。委員の7割はDMOの経営層である。隔週で開催されるオンラインの会議に参加し、また米国に赴き直接彼女たちや彼らと交流する機会も多い。

 こうした中、わが国の観光政策に深く関与されている方からの質問を受けて米国のDMOの形態、官民の役割分担やDMO経営層の任免権などを調べることとなり、筆者はこれまでの会議で知り合った米国のDMOの経営者やDIの知人、委員会の掲示板にも長文の質問を投げかけてみた。するとどうだろう、筆者が目を覚ましてPCに向かうとそこには前日に投げかけた質問に対して時差も幸いしているがそれなりの数の返信が寄せられていた。面識のない方からも寄せられていた。彼女たち、彼らの奉仕の精神とそのスピード、長文でぎっしり中身のつまった返信にはこちらが驚かされ、祖父の話が重なった。米国人の無償の奉仕の精神である。あるCEOは行政との取り決めを示すチャート図や契約の概要などの資料も惜しげもなく提供してくれた。 ここまでたどり着くのに長々と書いてきたが、なかなか知り得ない米国の観光地域経営について読者の皆様にもぜひ共有していきたい。

米国のDMOの形態

 観光庁のホームページを見ると、わが国の観光地域づくり法人は312法人が国の登録制度によって登録されており、35法人が登録候補となっている(2024年9月24日現在)。米国においては、観光地域づくり法人はDMO(デスティネーション・マネジメント・オーガニゼーションやディスティネーション・マーケティング・オーガニゼーション)のみならず、コンベンション&ビジターズ・ビューロー、観光局、スポーツコミッションや映画やメディア作品を地域に誘致するオフィスなどが広くデスティネーション・オーガニゼーションとして認識されている。デスティネーション・オーガニゼーションがわが国で言うところの観光地域づくり法人と言えよう。わが国のように国が要件を定めて主導する登録法人制度は存在しない。州や群、市または郡内、州内の複数の都市による連合体などがそれぞれの地域で行政の一部門として、または法人として登記し活動を行っている。

 それでは現在DMOとして米国内にはどのくらいの組織があるのだろうか?

 DIの幹部に問い合わせたところ貴重なデータを開示してくれた。データベース上では全米で約667のDMOがあり、州レベルのDMO/観光局は50州のうち14であり、残りは郡や市レベルである。また、予算規模は年間50万ドル(約7,500万円)から5,000万ドル(75億円)までさまざまであった。

 組織体としては行政の部門や商工会議所といった形態もあるが、この場合は自治体組織に属するため政府の裁量によって予算も割り当てられCEOの任命権も行政部門がもっている。

 一般的には米国の90%以上のDMOは政府から独立したNon-government entity であり、501(c)(6)として登録された非営利団体(nonprofit business association)として活動している。ここでは非営利DMOと整理しよう。非営利DMOは通常、市や地域と契約を締結し、市や地域の代理としてDMOの業務を遂行している。一般的な財源としてホテル宿泊税などの公的資金と、企業やレストランなどのメンバーからの会費やスポンサーシップによる民間資金を受け取りながらミッションを遂行している。継続運用のために一定期間ごとに契約の再交渉が必要となるが、全米の人口5万人以上の地域ではこのような独立型DMOモデルが最も一般的なモデルとなっている。また公的資金を受け取り、民間主導で運営する形態でもあるため、Private/Publicのハイブリッド型のNPOと言ってもよいかもしれない。

筆者作成 DI他全米のDMO関係者より聴取
筆者作成 DI他全米のDMO関係者より聴取

 では、このような非営利DMOはどのように観光業務を行政とすみ分けしているのであろうか。前述の契約によって細目が定められているようだ。一般的にはその地域の観光分野のマーケティングやプロモーションの一切を任されていることが多いが、地域のニーズによって異なり、一部のDMOは団体旅行やコンベンションの誘致に特化している一方、他のDMOはレジャー客向けのマーケティングを担当する場合もあれば、その両方を担うが、地域のフェスティバルや文化イベントの運営支援は含まないなどさまざまだが、多くの場合、契約の文言はあえて幅広く設定され、地域全体のマーケティングやプロモーション活動を包括しながら実施に柔軟性を持たせる形となっている(DI幹部より聴取)。

 カリフォルニア州東部の山岳リゾートを抱えるMammoth Lakes Tourismは観光プロモーションを目的とした非営利DMOであり、no government entity として観光プロダクトのコミュニュケーションとマーケティングを管理するのみで、観光インフラについての業務責任を持っていなかったそうだ。5年前から資金を得て観光インフラ支援業務を執り行い、観光客によるオーバーツーリズム緩和について行政(町)に協力しているが、この業務はあくまでも支援であって、100%が行政の責任範囲であるという。

 昨年7月にDIの年次総会のホストとなったフロリダ州のタンパにあるVisit Tampa Bay(VTB)のCEOのサンチアゴ氏も筆者の問い合わせに即座に返事をくれた一人だ。この原稿の執筆のために日曜の朝に追加の質問を送ったところ、夜には返事が届いた(現地日曜早朝)。VTBはフロリダ州ヒルズボロ郡政府ならびに郡内の3つの市のすべての観光関連業務を遂行しているが、その運用資金の配賦(市からの公的資金)を受けるために、毎年契約を取り交わしている。加えてコンベンションセンターの営業活動のために別途長期の契約を取り交わしているそうだ。

VTBのCEOサンチアゴ氏と筆者
VTBのCEOサンチアゴ氏と筆者

 五大湖のミシガン湖畔のウイスコンシン州ドア郡の観光プロモーションを担うDestination Door County(DDC)は筆者の興味をひいた。CEOのJulieは筆者が所属するDIの委員会のCo-chair(共同委員長)であり、懇切丁寧にきめ細やかに資料も提供して解説をしてくれた。DDCも501(c)(6)の非営利団体であり、ドア郡内の19 の市町村のDMOとして活動しているそうだが、ウイスコンシン州法でこの地域をドア・カウンティ・ツーリズムゾーンとして特定しており、ツーリズムゾーンの委員会が郡政府の一部門として域内の宿泊税の徴収と分配を行っている。この場合、税収入の70%がDDCに分配され観光振興と観光インフラ整備のために提供され、残りの30%を宿泊税が発生した市町村に支払われ、市町村のニーズにあわせて使用されている。DDCとゾーン委員会との取り決めで定期的な報告や討議が行われているため同郡の観光業務はこの2者による共同事業ともいえるそうだ。また、契約は2022年5月に締結され現在に至っている。

 ではこうして運営がなされているDMOの事業方針や予算、人事はどのようにして誰が決定しているのであろうか? 公的資金を配賦する行政はどのように監督しているのであろうか? その説明責任と透明性はどのように担保されているのであろうか?

 DMOが独立した組織として運営されている場合(非営利DMO)、通常は取締役会(または理事会)が設置され、組織の予算管理や公的資金の使用承認、CEOの任命責任を負っており、行政府はその機能を持ち得ていない。しかしながら公的資金の配賦を受けているため、行政への報告義務と説明責任が求められており、一般的に取締役会(理事会)には行政の代表者が加わることが多い。

 VTBでは27名の理事会メンバーには郡と最大都市から各1名の代表が入っており、法律で定められている拘束力のある秘密保持契約を除き透明性を確保しており、理事会で承認された予算は郡政府に提出される。また契約にもとづき郡政府の諮問委員会である観光開発協議会には四半期ごとに、郡委員会には半年ごとに報告を行い、郡から配賦された公的資金については毎月の支出報告書を提出している。

 DDCにおいては、毎年管轄の19の市町村に報告を行い、ツーリズムゾーン委員会には毎月報告を行っており、予算の最終承認は理事会承認ののち最終的にはツーリズムゾーン委員会に委ねられている。CEOの雇用や解雇については理事会が責任を持つ仕組みとなっている。前述のMammoth Lakes Tourism はカリフォルニア州の非営利DMOであるため、透明性を確保するブラウン法の適用を受けているそうだ。予算については町議会メンバーが理事会に参加しており、日々の運営は9名の理事会の監督下にあるそうである。

 このように、決まったモデルはなく、地域ごとに構造も資金源も異なる。しかしながらどのような運営形態であり、高いレベルの透明性と説明責任が求められている。たとえ公的資金を受けずに民間資金として宿泊施設などから資金を得たにせよ、このステークホルダーはパフォーマンスを確証するために透明性を要求する。

 また、さまざまな形態をもつ非営利DMOにおいて、政府関係者は伝統的にCEOを任命して解雇することはなく、理事会(取締役会)がその責を負っている。行政がDMOのCEOの任免・罷免権をもつのは、DMOが行政部門の一機関である場合に限られるようだ。ここでは書ききれないが、返信で伝わってきたのは運営を執り行うCEOが日々緊張感を持って業務を遂行し、関係するステークホルダーへの報告を果たしている姿であった。

 最後に、あるDMOのCEOがどのような頻度でどのような内容の報告をステークホルダーに行っているかご覧にいれよう。ロサンゼルスのLA TourismのCEOであるアダム・バーク氏がステークホルダーに行っている報告の内容とその頻度を示したものだ(出典 Tourism Economics DI会議資料より)。 資料中のSとAはその説明頻度である。Sは時々、Aはいつもという具合だ。

 米国のDMOの経営陣と接して彼らの高い職業意識にはいつも感心させられる。今後もこうした米国DMOの取り組みを紹介していくこととしたい。

※メインビジュアルは、ウイスコンシン州ドア郡カナ灯台(ミシガン湖) (出典 Destination Door County ホームページ)

寄稿者 中村慎一(なかむら・しんいち)㈱ANA総合研究所主席研究員 

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