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俯瞰するニッポン(その26)未来は明るい、唯一無二の観光地~奈良盆地~

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 「奈良県観光の未来は明るい」とつづる。すると「どうして、どこが?」という数多くの疑問・反論をいただくかもしれない。

 奈良県は人口約128万人。その9割以上の県民が、北部の奈良盆地に集中している。吉野から南部は、急峻な紀伊山地。それ故、生活するためには、さまざまな困難が存在する。

 京都に都が移されるまでの約200年間、藤原京や平城京という都が置かれていた。それ故、県内の歴史的文化財や世界遺産の数は、日本一である。しかし、旧国鉄時代には、東京から唯一直通列車が走っていない県であった。隣接する京都府や大阪府というメジャー観光地に比べて、神社仏閣以外の観光地が少ない。また、以前から宿泊施設が少ないことも、観光地「奈良」が否定されてきた要因だ。

 昨今、JR東海は、「いざいざ奈良」と銘打ち、大々的に奈良県を売り出している。近い将来、リニア中央新幹線が名古屋から新大阪まで開業すると「奈良県」駅が設置される。直接、奈良県中心部へ到達できないが、奈良県観光は格段と便利になる。また、北陸新幹線が新大阪まで延伸する際も京都府と奈良県の境に新駅が開業する予定である。まさしく、これらの交通インフラが完成すると、首都圏を中心に観光人流が大きく向上する。

枕詞のある古き都

 さて、雄略天皇が詠んだとされる『万葉集』冒頭の長歌に、「大和」にかかる「そらみつ(空見つ)」という枕詞(まくらことば)が記されている。また、「あをによし(青丹よし)」という言葉も「奈良」にかかる枕詞だ。まさしく、奈良大和路は、日本の国が始まった土地といえる。

 今や、京都が古都日本の代表とされ、数多くの観光客が訪れている。しかし、「京都」にかかる枕詞は存在しない。そう考えると、奈良県が本気を出せば、京都をしのぐモノ・コトが生まれてくると考える。

閉鎖性が、独特の文化を

日本最古の道といわれる「山の辺の道」
日本最古の道といわれる「山の辺の道」

 盆地東側の山際には、日本最古の道と言われる山の辺の道や伊勢と結ぶ初瀬街道が走る。都が京都に移った後も、交通の要衝であり、道の整備は続けられた。同時に、北緯34度32分上に伊勢・斎宮から淡路島・石上神社を結ぶ「太陽の道」も古くからの信仰対称であった。そして、初瀬街道はそのルートに重なる。

 また、初瀬街道沿いを奈良盆地に流れる大和川は、盆地内で多くの河川を集める。そして、生駒山地の南端地溝帯を抜けて大阪平野へ注いでいく。大阪との府県境の生駒山地には、暗峠(くらがりとうげ)や十三峠(じゅうさんとうげ)などの山越えの道もあるが、大和川沿いの道が大動脈であった。一方、京都との間は、平城山(ならやま)地溝帯に木津川が流れる。石清水八幡宮付近で桂川や宇治川と交わり、淀川と名前を変える。

 雨の少ない「大和盆地は溜池が多い」と小学校で学んだ記憶がある。しかし、上空から見ると、案外と中小河川も多い。そのため、溜池と河川による盆地の閉鎖的な高湿度気候が、夏の夕暮れには、見渡すかぎり真っ赤になる爆焼けを起こす。これも奈良盆地の特色である。

 このように、長く都を構え、閉鎖的な環境が多くの工芸品を生んだ。例えば、全国の9割を生産する「墨」や茶道具である「茶筅(ちゃせん)」がその一例で、多くの工房が営みを続ける。また、「筆」「和紙」「団扇」なども飛鳥から奈良時代に始まった工芸品として、現代まで伝承されている。

宇宙人が私たちのルーツ!?

 『古事記』『日本書紀』には、ニギハヤヒノミコト(邇芸速日命)という神様が登場する。天の岩船から「倭(やまと)」に着陸したと記されている。まるで、UFOに乗った宇宙人が、天空から地球を見渡し、豊潤な土地であることに気付く。そして、この魅力的な場所を国の中心として、都を奈良にすえたと伝わる。

 今や、航空機が上空を飛び、眼下に素晴らしい盆地の景観を俯瞰できる。そう考えると、奈良盆地には悠久のロマンが、見え隠れするようにも感じる。

胡坐をかいてきた奈良県観光

日本最大の木造建築「東大寺・大仏殿」
日本最大の木造建築「東大寺・大仏殿」

 古くから大仏に参詣する客をとらえて逃さない奈良商人は、商売上手と言われていた。しかし、今では、参詣客が立ち寄るのを待つだけ。進んで集客努力をしない消極的な「大仏商法」と揶揄されるようになった。

 この大きな原因は、長期間に及んで都を構えていたことに起因するのだろう。墨や茶筅などの地場産業は、顧客である寺社勢力の衰微や武士階級の貧窮によって、衰退の一途をたどる。また、排他的な同業者組織は、外部からの意見や提案を受け入れなかった。

 この状況を打破するため、昭和初期から観光業への転換を図った。商人宿を活用し、修学旅行の受け入れを始める。その結果、奈良県観光は、再びきらめきを取り戻し隆盛を極めた。

 しかし、昨今は、旅行形態が「団体型」から「個人型」へ変化、観光目的が「体験型」を好むようになる。その対応の遅れが、急激な観光客数の減退につながり、現在につながっている。

 「大仏さんがいるから大丈夫」などと、神仏頼みの観光施策が大きな失敗であったことは否めない。観光客の減少によって、奈良県の名立たる神社仏閣の拝観料などは高騰している。そのことも奈良観光離れに拍車をかけている。

奈良県の本気度を

 大阪・関西万博もあと1か月に迫ってきた。奈良県でも「万博観光の後は、奈良観光を」とPRしている。JR西日本も、35年ぶりに京都・奈良間に臨時の特急列車を運行するという。

https://www.westjr.co.jp/press/article/items/240117_00_press_rinjitokyuInishie.pdf

 私たち日本人のルーツを振り返り、この地に残されたモノ・コトを大切にする。そして、この歴史にどっぷりと浸かって、唯一無二の奈良県観光を魅力的にしていく。この発見・気づきが、これからやらねばならないことかもしれない。

 行政が地域住民の方々と対話を重ね、より良いモノ・コトを作り上げていく。県は、全県観光の拡充を目指しているが、まずは、人口の集中している北部地域に観光客を呼び戻すことに傾注してはどうだろうか。

 そのことが、奈良県観光復権の一番の近道だと考える。

奈良盆地特有の夏の夕暮れ
奈良盆地特有の夏の夕暮れ、見渡すかぎりの真っ赤な爆焼け

寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨/代表

(これまでの寄稿は、こちらから)https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=181

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