背山臨水石畳
背山は、
人々が金の屏風に例える石畳、
石清水がもたらす清流麓川。
臨水は、
美しい自然に培われた暮らしと営み、
全ては豊かな水に育まれた石畳の風景。
いにしえから受け継ぐ
丁寧な生き方と遊びごころは、
ホンモノの里山暮らしを根付かせた。
次代へつなぐナリワイと
訪れる人々のこころを癒やす石畳を
私たちが未来の子どもたちへつなぎます。
これは、私が地域興しのサポート写真家として関わらせていただいている石畳(愛媛県内子町)地区のリーダーで栗園を営む寳泉武徳氏とともに、制作し発刊した石畳広報誌『背山臨水石畳』の巻頭部分。
この地域の人たちの想いを書き込んだものだ。
古民家の宿の先駆け「石畳の宿」
背景には、古民家の宿の先駆けとなった「石畳の宿」の設計改築を手がけられた建築士で、画家の吉田桂二氏(故人)が、この石畳に思いを馳せて一気に描き上げた墨の襖画を撮影して用いた。

今から実に四半世紀前のことであるが、当時はインターネットやカメラ&携帯などの進化によって、観光を含む旅行スタイルも大きく変わっていこうとしている最中だった。
「着地型」という旅行商品造成に注力していくことが「街づくり」を進めて行く上での手段となり、これを運用して地域貢献して行く組織としての「TMO」もこの頃登場した。
こうした中でこの石畳の宿は瞬く間に人気を博し、以来「奥内子」の核として今日に至っている。
石畳のシンボル

それは日本の原風景と行っても良い景色でもあり、これを生かして孤軍奮闘する地域興しの後継者でもある。思いは、今から30年経てば現在300人ほどのこの地域の人口が100人を切ると予測されていることに対して「今何ができるか」と考えて活動することだ。
そのような状況の時に現職を離れてフリーで活動し始めた私の目の前にひとりの地域の方が現れた。
実に15年ぶりくらいの再会で、「えひめ町並み博2004」のイベント展開とその翌年に経産省から受託して事業展開した2005(平成17)年度「電源地域活性化先導モデル事業」における「地域密着型ツアーエージェントを中心とした地域資源マネージメント事業」において、周辺自治体との連携の中で内子町の担当者のひとりだった寳泉武徳氏がその人だった。
地域を想い、その将来を憂いて後継者を引っ張るリーダーでもある寳泉氏と話をしているうちに、私なりのお手伝いができないかと考えたことがきっかけでその後の活動へと発展した。
その活動のシンボルが水車小屋だった。
完熟石畳栗

背山の牛の峯は柱状節理で構成された岩山である。そのため、滲み出す水は透明度が高く美しい。これを麓川で撮影すると、他のそれとは違いが歴然としている。そのような水分を吸い上げながら育つ石畳栗は実に大きい。特大サイズのものは軽く子どもの拳くらいはある。剪定方法などを専門家から学び指導を受けて「完熟石畳栗」としてのブランド化を何とか成し遂げたいと孤軍奮闘している。

四季折々の自然はまるで紙芝居のように移ろうのだ。それを体中に感じて育つ子どもたちは宝物だ。2025年4月からの内子町立石畳小学校の児童数は8人。その子どもたちの育てたフジバカマが満開を迎える10月初旬には佐田岬方面へ南下していく「アサギマダラ」がたくさん立ち寄り羽根を休めていく。

私の仕事
限界集落と言えば夢がない。美しい自然と水に恵まれた山間地域と言えば、百年先に思いを馳せることができる。目の前の景色や営みを撮影し発信していくことで、少しでも地域のお役に立てることがあると確信して石畳を訪れる。
「きれいに撮る」ことは基本ではある。でも、私の撮る「伝わる写真」は飾っておきたい写真ではない。ご覧いただいた方々が実際にそこへ行ってみたいと思い、行動を起こしていただけることが私の写真家としての仕事だ。

石畳に通い始めて6年目。当時一年生だった子どもたちは6年生。この子たちが成長し社会に出る頃まで、私が元気でいられるかどうか自信はない。しかし、カメラが持てる間は通い続け、撮影して行くつもりだ。
思いをこめて・・・。
https://uchiko-ishidatami.jp/sightseeing
(つづく)
冒頭の写真は、2023年3月25日撮影、枝垂れ桜満開を祝うように牛の峯を這う山霧
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14
寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員