2月の寄稿の後、厳寒の稚内市を訪れました。この時期、風雪が強く、フライトは条件付き運航がたまにあるのですが、今回も羽田空港へのリターンという条件付き。天候が急変することもあり心配しましたが、今回も無事に到着。
機内では台湾からの旅行者に交じって欧米系の旅行者(いわゆるYOU)もいて、最近の観光事情を早速知ることになりました。短い旅ではありましたが、日本最北端の地・稚内について、新しい情報などをご紹介したいと思います。
厳寒の宗谷岬

稚内市長訪問など今回の旅の目的をしっかり務めた後、東京から同行した二人が初の稚内ということで、まずは宗谷岬にある日本最北端の地の碑を訪ねました。お付合いいただいたのは稚内市役所のAさん。よくぞ飛行機が降りられたと思うほどの強風の中で記念写真を撮りました。
残念ながら約43㎞先のサハリンを見ることはできませんでしたが、振り返れば宗谷丘陵の高台には駐屯する自衛隊の施設や大韓航空機撃墜事件の慰霊碑「祈りの塔」を仰ぎ見ることができました。海岸には網走や知床からアムール川に戻って行く途中のザラメ状の流氷が打ち寄せ、「稚内は国境地域なのだ」と改めて実感することができました。
近くて遠いサハリン
稚内港とサハリン・コルサコフ港を直接結ぶ定期航路は2019年から休止し、今の稚内では国境を「越える」体験はできない、と前回も書きました。外務省海外安全ホームページを見ても、ロシアほぼ全域がレベル3(渡航中止勧告)、ウクライナとの国境周辺地域はレベル4(退避勧告)が続き、当然ですが日本からのロシアツアーはありません。2020年に就航予定だったANAのウラジオストク線も未就航のままです。
稚内市役所にあったサハリン課も交流推進課と名を変え、サハリン事務所は職員を撤退させ休止状態だったのですが、昨年3月から再開しました。駐在は置かずに定期的に職員が約43㎞先のサハリンに行くのですが、宗谷海峡を渡る手段はなく、航空機でトルコ経由モスクワ、もしくは中国経由ハバロフスクからサハリンへ渡るのだそうです。目の前のサハリンは遠いのです。
「稚内市はロシアとの間で独自に交流を続けてきた歴史があり、これを次につなげていくことは重要だ」と市長のメッセージが心に残りました。
稚内市樺太記念館
今回も訪れた樺太記念館。カモメが行き交う稚内港に面した稚内副港市場の中にあり、樺太関係の歴史資料が数多く展示されています。中でも、樺太中央部の北緯50度線が日露の国境だった当時の国境標石。レプリカですが国境地域・稚内の資料館ならではの資料です。国境地域を撮り続けるカメラマン、斉藤マサヨシ氏の美しくも歴史を語りかける写真も数多く展示されています。
昭和の大横綱大鵬の大きなパネルもあります。大鵬は1940年に南樺太で生まれましたが、当時の南樺太は日本の領土だったのでいわゆる外国人横綱ではありません。よく知られた経歴ですが、太平洋戦争末期、母親と共に引き揚げ船小笠原丸で北海道へ引き揚げました。小笠原丸は留萌沖でソ連潜水艦の魚雷攻撃で沈没しましたが、大鵬親子は母親の船酔いなどの体調不良により、稚内で途中下船しており、難を逃れたのです。映画「北の桜守」のような史実を知ることができます。
稚内市内のにぎわい
稚内市の人口は約30,000人。ボーダーツーリズム推進協議会の正会員でもある長崎県対馬市や五島市とほぼ同じ。ピーク時から約25,000人減少しており、人口減少や少子高齢化が大きな問題であることも同じです。

今回の訪問では「稚内市みどりスポーツパーク」を訪れました。カーリング場、アーチェリー場などがあるスポーツ複合施設です。カーリング場は4シート(と言うらしいです)、観客席180席の立派な施設です。20㎏と想像以上に重かったカーリングの石に驚いていると、地元の小学生の団体が練習(授業の一環でしょうか)に訪れたところに遭遇しました。一人一人が私たちに丁寧に挨拶をしてくれました。また、出口では引率された幼稚園児童のグループが入ってきました。凍った地面を器用に歩く姿は何とも可愛く、微笑ましい姿でした。
交流人口、関係人口の経済的な有効性は認めますが、町のにぎわいは観光客ではなくて、幸せに生活している地元の人々がもたらしてくれるのだと改めて実感しました。
遠洋漁業が盛んだった稚内市は、1977年頃に設定された200海里水域制限により大打撃を受けました。北洋を中心とした沖合底引き漁業から近海で「つくり育てる」資源管理型漁業へと変化している同市の水産業ですが、国の補償も受けて観光業などの新しい業態を始めた住民も多かったと聞きます。
他の地域にはない苦労も多い国境・境界地域ですが、子供たちが明るい未来を地元で享受できることを信じていたいと思います。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=17
寄稿者 伊豆芳人(いず・よしひと) ボーダーツーリズム推進協議会会長