2011年3月11日の東日本大震災では、東北3県を中心に津波の被害が甚大だったのに加え、福島原発事故により故郷を追われた人々が多数にのぼった。ようやく一部地域では避難指示が解除されたものの、いったん流出してしまった人口が元に戻るのは容易ではない。
そんな原発周辺の自治体の1つで、なお避難指示が続く福島県大熊町で進む復興の様子を報告する。同県の太平洋沿い、浜通りに位置する大熊町は東北新幹線郡山駅からバスで西へ約1時間半。大熊町に入ると、住宅の取り付け道路に鉄のフェンスが設けられていて、それ以上、進むことはできない。道の奥には主のいなくなった住宅が立っており、そのなかには朽ち果てしまいそうな建物も見受けられた。町の人口は11年3月が1万1505人だったが、25年1月は9917人(住民票ベース)、実際の居住者数は1347人という。
街中心部のJR常磐線大野駅西口周辺をにぎわいの拠点に
原発事故発生から14年が経過しても、なおこのような状態が続いていた。しかし、2019年には一部避難指示が解除され、22年には町中心部も避難指示解除された。その結果、中心部のJR常磐線大野駅西口一帯では、着々と復興の槌音が響いている。このほど訪れた産業交流施設「CREVAおおくま」(上記写真)と商業施設「クマSUNテラス」が完成し、利用が始まった。

また、震災後、同町で初の民間資本のホテル「タイズヴェルデホテル」も営業を始めた。復興関連に従事する人のほか、自宅を訪れた町民で、泊まることができない人の宿泊の場でもある。
商業施設の建物5棟すべてにソーラパネル設置
商業施設「クマSUNテラス」は5棟からなり、レストランやコンビニエンスストア、キッズルームなどがある。いずれも屋根にはソーダーパネルが設置されていて、ほとんどの電力を太陽光でまかなえるという。産業交流施設「CREVAおおくま」は規模が大きいため、太陽光だけでは対処できないが、それでも採光に工夫を凝らすなどして、約75%をソーラパネルや省エネ電源でまかなっている。また、町営賃貸住宅も完成した。

現在、同町は帰還困難区域と帰還許可区域がまだら模様に点在している。原発事故による風評なども依然として消えていない。新たにこのような施設ができ、街が少しずつだが、復興に向けて歩んでいるにもかかわらずだ。ただ、地元関係者は「事実が事実として伝わっていない分もあるので、ぜひ一度訪れて現状を知ってほしい」と願いを込めて語る。